2008.05.03 土曜日
discursive letter
好きな公園はありますか?
深く考えずにこの質問をぶつけてみて
もしも即答されてしまったら
それだけで好感度急上昇
You can’t connect the dots looking forward.
You can only connect them looking backwards.
学生時代、平日、昼間、そして春
こういう景色を眺めて生きていたんだな、といつか思うのだろう
そう、もはや思い返すことしかできなくなったそのときに思うのだろう
今も生きているけど、あのときも生きていたんだと
こんな分かりにくい感覚について誰かと話をしたい
悩みを相談できる相手は多い方がいい?
悩みの内容や深さに応じて、適切な相手を選択して相談できれば
求めていた助言を得やすいだろうね
だけど、残念なんだけどね
僕には選べるほど多くの相談相手がいないわけで
すなわち特定の人を頼ってしまうことになってしまう
僕にとって、理想の相談相手のイメージカラーは青だ
空の色、海の色、ガガーリンの言うように地球の色
考えの深い人、視野の広い人、自然体の人、厳しい人
今日は空に相談しよう
空に訊いて、特製の直通スピーカーの下で待つのだ
部屋に緑が欲しい、と最近考えている
花屋の前を通るときに自転車の速度をゆるめる
買うときは歩いてこないといけないなと気付く
部屋に緑を置こう
枯れないでさえいてくれれば、それだけでいいから
捻くれ者だと言われ
屁理屈吐きだと言われる
煙を吸うのが好きなら吐き出すなよ、少なくともこっちに向かって吐くな
そんなことを言ってる自分が感じの悪い人間だということは理解している
柔らかく穏やかに生きたい
しかし、実のところ
自分自身が素直な感受性を持っていると感じることもある
その感受性は今のところ未成熟で、ムラがあって、自信が無い
ではどうすればそれを成熟させて、安定させて、愛することが出来るのか
たぶん、ただただ多くのものに触れ、感じ、考えるしかないのだと思う
量より質、もちろん
だけど量を知らねば本質を知れぬ
まだ量を求めてもいい年齢ではないだろうか
花火のような人生、とよくいう
パッと華やかに一瞬を彩り、消えてしまう
「太く短く」だそうだ
意味のある花火なら
どれだけ多くの時間を背にした後だとしても
そのときの感動をそのままに、あるいは増幅された感動が
目の前に広がるものだと思う
「眩く永く」思い出される存在の誇らしさよ
「写真の中に飛び込みたい」と願った
すぐに、それはすなわち過去に戻りたいと願うことだと気付いた
だから僕は写真に飛び込みたいという願いを封じ込めた
朝に観てはいけない映画がある、そんなことを学んだ一日だった
そろそろピンクを目にする機会が増えてくる
そしていずれまたミドリが増えてゆく
足元には薄汚れたピンクが積もる
視線が軽いフットワークで教室を駆け回る
時々振り向く教授の後頭部を気にしながら
講義が終わり、机に残された本に気付く
周りを気にしながら手に取り、そっと返す
一枚だけ写真を撮った
帰り道
忘れ物と僕の読みかけの本が一致する確率について考えた