2008.01.31 木曜日
Oklahoma Mixer
椅子取りゲームって変なゲームだよね
皆が熱心にケツを椅子にねじり込む
ケツとケツのせめぎ合い
時々、自分の存在について考えるんです
ぐるぐるぐるぐるって
求められている役割と求めている生き方
今のところ一致してるんですがね
軸が外れて、この枠から抜け出せたら
ひょっとすると空でも飛べるんじゃないか、なんて
空想していると視界がボヤけて仕方ないんですわ
傘を買ったのは久しぶりだった
家の玄関にはいつの間にか溜まったコンビニ傘があったし
最近では折り畳み傘も使う機会も増えたから
君はあまり傘をささないとか言ってたね
俺もあまり傘をささないんだよ
それでもあの日、傘を買ったのは
初めての日もそうしたことを思い出したから
残念なことに、視力の低下を実感することが多くなった
物がはっきり見えないことに気付く、それはそれで凹むことなんだけどさ
コーヒーを飲もうとして視界が曇ったり
やれやれ寝るかとベッドに横になろうとしたら、うっかりして耳が痛かったりして
ここまで普段からメガネが欠かせなくなってしまったかと気付くときの方が
なんとも言い表し難い物悲しさを含んでしまう分、余計凹むよね
最近、脳ミソが揺れるほど走ったことがあっただろうか
小さい頃(まだ頭がグラグラしてた頃は)砂漠のように広い公園を
フラッフラしながらただひたすらに疾走してたんだろうね
何を見て走ってたんだろうかね、あのガキは
何を考えてこの写真を撮ったか
ひどくつまらない話なんだけど、話します
もし僕が生まれ変わって、彼の立場になったらどう思うだろう
(もちろん生まれ変わりなんて信じてないけどね)
夜の街、足元には繁華街が広がる
ネオンがちかちか眩しくて、酒に酔った人間がやかましくて、僕は動けずにいる
でも目に入る光景は自分にはまったく関係なくて
人間にとっても僕はまったく関係のない物体
僕は昼も夜も目を開けている
おかげで退屈はしない
ただ願わくば、ガラスが曇らんことを
どんなものにも「きっかけ」がある
カメラが好きになったきっかけ
写真が好きになったきっかけ
もちろん忘れてしまったきっかけなんて山ほどある
さて問題、僕らが高いところに足を運ぶようになったきっかけは?
いつも、時計の短針がだいたい一周する関係
なかなか悪くない、そう思ってる
あの歌を白いイヤホンを介して共有する関係
なかなか悪くない、そう思うよ
そんなこと考えながら横顔に見惚れていたら
あのビビッドな目線を向けてきた
なかなか悪くないよな、そう思った
時々僕は冷静になりすぎる
ただひたすらに自分自身を客観視することでのみ
混沌に消え入りそうな事をギリギリ掴み取れると思うから
そうすることで幾つもの自分なりの真理を見いだしてきたし
とりあえずのところそれらが事の本質に最も近しい考え方であろう、と思っている
本質を理解した「つもり」の僕はまた、自分勝手に新たな混沌を生む
なぁ、俺って性格悪い?
たまに投げかける、というか投げつける質問
冷静なはずの僕が混沌に引きずり込まれそうなとき、いつもこう訊く
すると、いつも笑顔で同じ答えが返ってくる
「さぁ?」
さぁ?ってなんだよ
タイルの溝にビー玉を転がして遊ぶ、なんてことは
きっとおそらくたぶん間違いなく、もうしないだろうな
そりゃあ、やろうと思えばできる
だけどそれはもはや「遊び」じゃないんだよね
この頃は
Blogに載せよう
誰かに見せよう
雑誌に投稿しよう
なんてことは考えたことがなかった
かといって
思い出!思い出!
と、鼻息荒くしていた覚えも無い
つまり、見るように写真を撮っていた、と思う
「あっ」
みたいな感じ
「なんでお前だけ光ってるの?」
―「さぁ」
「なんで俺は光ってないの?」
―「スイッチが入ってないからだよ、きっと」
「スイッチを入れたら光るかな?」
―「たぶんね」
「誰かスイッチ入れてくれないかな?」
―「なんでスイッチを入れられなかったか、それを考えた方がいい」
初めてのモノクロフィルム
笑っちゃうくらいおどろおどろしい
決闘をしてるわけじゃあるまいし
そんなに白黒はっきりさせなくてもいいじゃないか
いや、笑っちゃうね、これ