Posts categorized “考え事”
2010.11.25 木曜日
スイッチ
2010.11.22 月曜日
『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』
渋谷の映画館・Image Forumで『ハーブ&ドロシー』を観てきた。
先月ここで『死刑台のエレベーター』を観たときに会員になったので、
一年間は1,000円で映画が観られる。すてき。
ミニマルアートについての語りが興味深かった。
ちゃんと記憶しているわけじゃないけど、だいたいの内容は
こんな感じだったと思う。(違うかもしれない)
ミニマルアートは非常にシンプルである。
しかしそのシンプルさの向こう側には複雑さがひかえている。
アーティストの思考過程が“フォーム”をつくりだす。
思考過程さえあれば、極論すれば描くのは誰だってよい。
ただしそれは音楽でいうところの楽譜のようなもので、
弾き手によって雰囲気やカラーは違ってくるのである。
映画は90分くらい。すごく楽しめた。
ハーブとドロシーのヴォーゲル夫妻がかわいいしかっこいい。
アートに疎い自分だけど、問題にならなかった。
むしろアートについて興味が高まった。
作品を指さして「よくわかんないけどこれが好き」みたいなことを
言ってたりするけど、ああそんな感じでいいんだなって安心したり。
時間があればもう一度観ておきたい映画でした。
公式Web:ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人
2010.11.20 土曜日
変な男のめでたい話
今日は大学時代の友人の結婚式らしい。
今年の夏、8月頃にメールで連絡をもらい、
同時に“1.5次会”とかいう聞きなれない催しに招待された。
そして僕はその誘いを辞退した。
彼と話をするようになったのはいつからだったのだろう。
大教室の授業以外では同じにクラスになったことはないと思う。
一緒にあそびに行ったこともないし、メールのやりとりも数える程度。
授業の合間とかに共通の友人といっしょに二言三言交わすだけの関係だった。
その後、ゆるやかに友好関係を継続し、
ふたりだけの会話も成り立つようになった。(僕にとっては稀なことだ。)
僕が写真を撮っていることについて興味があったらしく、
同じカメラを買おうと思っているとか、そんなことを言っていたと思う。
おしゃれだけどおっさんぽくて、体が大きくて静かで、変な奴。
そんなよく分からない男と最後に会ったのは大学の卒業式の日。
卒業式後に学部のパーティーがあったのだけど、当然のようにそれには
参加しないことを決意していた僕はさっさと帰るつもりだった。
だけど気がついたらその変な男ともう一人の友人とでミナミで呑んだくれていた。
小さな店のカウンターでぐだぐだと、卒業の感傷に浸るでもなく、
働きだしたらどうなっちゃうんだろうなぁ、なんて不安がったりして。
その後、サンマルクカフェでコーヒーを飲んで、さようなら。
それ以来会っていない。
おめでたい気持ちでいっぱいだ。
顔を出しておめでとう、って言いたい気持ちもあった。
だけど結局、下北沢駅のホームで遅れている電車を待ちながら、
3行ほどのメールを送るだけになってしまった。
結婚おめでとう。また会いましょう。
2010.11.15 月曜日
結婚式としあわせと(写真と人と)
この土日は名古屋におりました。
親戚の結婚式が日曜日にあったのですが、
せっかくだから土曜日から名古屋に滞在。
慣れない街で一日を過ごすのは思ったよりも疲れたけれど、
水族館に行ったり、手羽先を食べたり、温泉に入ったりと
こじんまりした観光を楽しんできました。
結婚式は、年に一度会うくらいのいとこの式ということで
気持ち的にはあまり深入りはできなかったのだけど、
あの独特な雰囲気、質量を持った幸せみたいな感じが
ただそれだけで胸にせまる感覚を与えてくれた。
これについては落ち着いて思い返してみよう。
あと、これもまた反芻しなきゃいけないんだろうけど、
写真っていいよなあと改めて思ったりもしたわけです。
でも今日は眠いのでまた後日。おやすみなさい。
2010.11.13 土曜日
青釉の日
2010.11.06 土曜日
iPod nano 1st
昔買ったiPod nano(第一世代)がひさしぶりに手元に帰ってきた。
調べてみると、2005年発売。4GBで27,800円。
大学一回生の19歳にしてはそこそこ大きい買い物だったと思う。
WebのApple Storeで買ったので本体背面に文字を入れてもらったりした。
(好きな歌手の好きな歌の好きな歌詞)
さっそく充電して同期をしなおして音楽を聴いているのだけれど、
れっきとしたデジタル機器なのにアナログな感じを受けるのはなぜだろう。
画面がパッとしない発色だから?タッチパネルじゃないから?ボロいから?
よく分からないけど、実家で初代のゲームボーイを見つけた感じ。
それにしても小さいし薄いしなんだかんだで頑丈だし、まだまだ使えるな。
2010.11.06 土曜日
たとえばこんな朝が
2010.10.20 水曜日
もうすこし近づいてみる
10月がはじまった!と思っていたら
もう20日なんかになってしまっていたりする。
すぐに11月がやってきて、秋は薄れていくのだろう。
日常のなかで感じる季節もあるだろうけど、
紅葉を見に行ったりしてもっと積極的に季節に浸りたい。
せっかく四季があるんだから。
最近、自分でも意外なほどに週末は誰かと会っている。
先月までは休日に誰かに会いたいだなんて思わなかった。
特にあたらしい出会いとかは完全に避けていて、
心がフリーに解けた関係の人にしか会わないようにしていた。
あたらしい関係をつくるパワーがなかったんだと思う。
ところがここ半月くらい、何がきっかけかわからないけれど
人が人と会うことの影響の大きさに(ようやく)気づいた。
例えば同じ24歳の人とあたらしく知り合ったとき、
ああ、こんな24歳もあるんだ、っていうような
シンプルな驚きというか衝撃・刺激を受けたりする。
うまく表現できないけど、人間のおもしろさ自体に
最近は興味しんしんらしい。
そこからいい影響をすくいとれたらいいな、とか考えたり。
それから最近は写真。
写真ってやっぱりいいよなぁとしみじみ思う。
しみじみ思っているだけではつまらないから
もうすこし写真に近づこうと思っている。
どうやって?さてどうしようかな。
2010.10.16 土曜日
その理由(草案)
世界にはきれいがあちこちに散らばっている。
たまたまそこを通りがかったときに見つけられるもので、
たぶん探して見つけるものではないと思う。
そしてそれらは誰でもときどき出会っているんだけれど、
たとえば心のセンサーが反応する閾値に達していないせいで
気付く機会を逸していることがあるんじゃないだろうか。
もちろんセンサーの感度とか特性とかは人それぞれだから、
ぼくがきれいだと思うものをそうは思わない人はいるはずで、
その逆のことも起こりうるはずなんだろうけど。
ぼくが写真を撮る一番大きな理由は、
そういった出会いがあったという事実を写真で残しておくことで、
たとえその記憶が意識の奥底の隅っこに沈んでしまったとしても
写真がトリガーとなって再認識することができるから。
きれいな風景を「きれいだ」と感じた瞬間の
たぶん絶対にことばにはできない感覚というものはとても脆くて、
それゆえに時間の流れの中であいまいに分解されていってしまう。
そのことがもったいないというか、怖いというか。
街で見かけたきれいな風景ってとてもささいなことだけど、
ぼくにとってはささいなことの積み重ねが日々のしあわせであるし、
もしもそういう風景に反応できない人間になってしまったら
その後の人生はどれだけ味気のないものになるだろうか。
写真がすきだ。
その理由はこんなところかもしれない。(違うかもしれない)
草案として書き残しておく。
2010.10.08 金曜日
たぶん明日はやってくる
4年前の今日、ぼくは20歳になった。
大学2年の秋は実に宙ぶらりんな状態で、
あらゆる方向に自由落下しながら暮らす毎日の中、
ただ素直に感じ、素直に行動していた。
自分の感覚を信頼していた。
色や音、光、風、ことば、時間、ひと。
太陽と月がくるくるとまわることが素晴らしかった。
今夜は気持ちがまとまらない。
だけど忘れそうになっていた部分がひさしぶりに熱を帯びた。
いつか来なくなる明日を積み重ねて、ぼくは生きていく。
2010.10.06 水曜日
オレンジの星
時間が経つのは早いものでもう10月。夏がなかなか終わらないなあと思っていたら、ばーっと雨が続いて、いつの間にか遅刻気味の秋空がすまし顔で広がっている。今日の空を秋空と呼ぶにはまだ少し未完成のように感じるけれど。
秋と空のイメージ。
綿をほぐして薄く薄く伸ばして手遊びしていたら、冷たくて気持ちのいい風に吹かれて高い空へとさらわれてしまったような、そんな雲が浮いている。ベランダから空を見上げると飛行機が飛んでいて、綿雲と飛行機、どちらのほうが高いところを泳いでいるのかわからないけれど、飛行機は見失いそうなほど小さくかすんでいる。昼間の星のように太陽の光がちらちらと反射する機体を見つめていると、また風が吹いて甘い香りがする。それがキンモクセイだと気づいて、ああ秋が来たんだと少しうれしくなる。
2010.09.26 日曜日
真夜中について
真夜中の空にむけて一本の棒が立っている。
その先端、とても高いところに小さな白い布切れが結ばれている。
ゆっくりとしたやわらかい風が吹き抜ける。
布切れは音もなくふわりふわりとはためく。
全体がふわり、端っこだけがふわり。
そこに出来る限りささやかな音楽をのせてやる。
するとそこには自分だけの夜がひらかれる。
風と音楽が流れ、見上げれば月と星が映る。
真夜中とは、そんな時間のことをいうらしい。
2010.09.23 木曜日
わかんないこととわかったこと
わかんねぇなあ、って感じることがある。
なんでそんなこと言うんだろう。
なんでそんなことするんだろう。
なんで、なんでって想像してみるんだけど、わかんない。
ある人が何かをする。
その行動の影響を受ける場所に自分がいるときに、
行動の理由とか目的が分からないとすごく不安になる。
彼は何を伝えたいのだろう、何を求めているのだろう。
行動することは外部への発信のかたちのひとつだから、
きっとその行動には少なからず意味があると思っている。
だけど、はっきりとした意味が読み取れない行動で、
結果として不快感を与えたり不安に陥れたりするだけになったりすると、
なんだかそれ自体が目的なんじゃないかと思わずにはいられない。
そんなときに、わかんねぇなあ。って暗くなるのだ。
他人のことをきちんと把握・理解することはむずかしい。
そのことをこれまで避けてきた人間にとってはなおさらだ。
だからこそ最近は、相手のことがなんとなくわかっていて、
自分のこともどうやら少しはわかってもらえているらしいと感じることが、
どれだけしあわせで楽しいことかということが、ようやくわかってきたりしている。