Posts categorized “考え事”
2010.08.26 木曜日
夏と花火と電車とぼくと
夏の終わりが感じられる。朝の日差しに、夕空の色に、夜の風に、夜更けの風に。
アスファルトにころがるセミの亡き骸。そこには妙な軽さが感じられる。そのたたずまいに、たましいの行方とこの世に残された身体の処遇を想う。夏はどこへゆくのだろう。
今年はいくつかの花火を見た。どれもきれいで自然と胸躍らされた。だけど、夜空を吹き抜ける破裂音が最近どこかぽっかりとしてしまったこころに反響して、自分が空っぽになっていることに気づいた。打ち上げられた花火玉が薄く尾を引きながら天を目指す。ふと姿を隠す。そして高く、広く、艶やかに光を降らす。すこし遅れてこころを打つ。ぼくはそんな花火が好きなのだ。
昔、女の子と夏祭りにいった。まだ中学生だった二人はどうにも気まずくて、つかず離れず歩きながら屋台をめぐったり、人の少ない場所で話をしたり黙りこくったり。しばらくして河の上流で花火が始まった。みんなが集まる橋には近寄らず、すこし離れた駐車場で空を見上げていた。最後まで見ていたかったけれど、「帰り道で同級生に見られたらまずいよね」とか言って、盛り上がる花火を背にして電車に乗り込んだ。そしてぼくは車窓から見る花火の美しさを知ったのだった。
2010.08.05 木曜日
月が形を変え、星は流れた
2010.07.11 日曜日
孵化する空
土曜日、梅雨の晴れ間。朝から押入れの掃除をした。ときどき自分の持っているものを点検して、要らないものは処分していく。そうしないと持ち物が把握できなくなってしまうから。今回は、姉が「もう使わないから」と送りつけてきた安物のスチームアイロンを捨てた。ぼくには普通のアイロンがあれば十分だし、単一の機能しか持たない道具というのはそこそこ良い物でなければ使っていて快適ではないものだ。たぶんあれはドンキホーテで3000円以下の代物だ。
——————————————
この日曜日は参院選の投票日。日曜日は雨が降りそうだから、という理由で土曜日に期日前投票をしてきた。昨年の衆院選は引越し時期と重なってしまい、世田谷区で投票するつもりでいたら前住所で投票しなければならないと言われたので億劫に感じて放棄してしまった。というわけで東京に来てからはじめての投票。用意されていたえんぴつの書き心地がとてもよかった。真っ黒の芯が紙との摩擦によってうっすら熱を帯びて融けながら線をひいているようだった。
——————————————
投票のあとは下北沢へ。レンタルビデオショップでDVDを3本借りた。DVDを選んでいる間、棚と棚のあいだをうろうろと歩き回る自分を含めた人間の動きが、決まったエリア内をランダムかつ永遠に歩き続けるロールプレイングゲームの町人みたいに思えた。その後、あちこちにある古本屋をいくつか回り、探していた作品の文庫版を200円で見つけた。本棚にぎっしりつまった膨大な本の背中を眺めて歩く。それだけでも楽しい。気になった本の頭に人差し指をかけてひき出し、ぱらぱらと味見をする。そしてまた元の隙間にすっとさしこんで人差し指でぐっと押し込む。その動作がまた楽しい。
——————————————
うまくやっていくことの難しさを感じる人は多いだろうか。ずる賢くないとやっていけないのだろうか。ずる賢いと感じることがおかしいのだろうか。まだ心の中の素の部分が拒絶しているのがわかる。それは甘いのだろうか、弱いのだろうか、拙いのだろうか。だけどぼくはまだ自分の反応を信じているし、失いたくない。適応することが必要なのは明白だが、そのことを表層だけにとどめられるのだろうか。どこか深いところまで染みこんでしまったら、という恐れを捨てきれないでいる。
——————————————
偏光レンズごしの空はとてもきれいだった。
2010.06.18 金曜日
金曜日、ぼくはバスに乗って
2010.06.12 土曜日
薄く広がる土曜日
2010.06.10 木曜日
木曜日
2010.05.30 日曜日
白っぽく、日曜日、また雨が降る
2010.05.29 土曜日
パキラ、土曜日、使徒襲来。
平日と休日。これらは本当におなじ24時間で構成されているのだろうか。なんてことをぼけっと考えながら買ったばかりのソファにへばりついている。快適。
せっかくの土曜日、ぐっすり寝てやろうともくろんでいたにもかかわらず、昨夜から開け放った窓と点けっ放しの電球のおかげで5:30起床だった。空の様子は天気予報どおり不安定そうで、いつ雨が落ちてきてもおかしくないような色をしていた。どうせ一日中家にいるつもりだから構わないのだけど、日差しの注がない朝はどこか物足りない。たたみにできた陽だまりを足先でなぞるときの、あのしあわせな温度が欲しいのだ。
2010.05.28 金曜日
アジサイ、金曜日、井の頭線。
2010.05.24 月曜日
ほんで月曜日
雨降りな月曜日。電車は傘の分だけきゅうくつで、湿っぽい。人間が底に沈んでその上を湿気がただよう。濡れたガラスの向こうに深緑の木が揺れる。
ことばを使いこなすことの難しさを想う。日常のいつでもどんなときでも、身の回りのすべてから受ける様々な刺激によって感情は動かされている。その刺激が大きければ笑ったり泣いたりするだろう。でも、小さな刺激、例えば窓の外から聞こえてくる原付バイクのエンジン音だとか、机の上で不規則に体をよじるイヤホンコードだとかを見聞きしたときに、何も感じていないわけじゃないけど身体的な反応を起こすまでには至らない刺激を受けたとき、その微信号をことばで表現したいと思う。自分がささいなことから潜在的に何を感じているのか。それをことばにするには相当に洗練された言語感覚が必要だろう。それがまだできない。いつかできるのかもわからない。そんなことを時々考えている。
月曜日が終わる。風がガラス窓を揺らす不規則な音がどこか遠くで小さく、確かに鳴っている。
2010.05.22 土曜日
どーよ土曜日
今日はとても蒸し暑い。昨日、雲のない空から強い光が差してくる輪郭のくっきりした暑さとは対照的に、今日は薄雲で封をした街を外からじんわり暖めているような息苦しい暑さだ。また、ここ数日とはうってかわって風らしい風も吹いてくれない。そんなわけで今日は朝からすこしぐったりしている。
それでも土曜日の朝は好きだ。早起きしてシャワーを浴び、家事をかたづけ、爪を切る。それから午後の動きを考える。誰かに誘われればついていくし、そうでなければ2駅先の図書館に本をさがしにいったり、雑貨を買いにいったりと一人で気ままに過ごすことになる。はやく家に戻ってビールを飲むのもいい。ラジオを聴くか、DVDを観るか、本を読むか。そんな風にして土曜日を終えていく。
さて、土曜日の午後になった。今日は一人で過ごすらしい。
2010.05.15 土曜日
本に逃げ込んだ
2010.05.03 月曜日
大阪・万博記念公園で
2010.04.25 日曜日
中指と薬指、それからノド
昨日は包丁で左手の中指を切って、
今日はピーラーで右手の薬指を切った。
二日連続で絆創膏のお世話になっている。
それから、昨朝からノドが痛い。
飲み込む動作がつらい。
何気ないことを強く意識させられる。
さーて走ってくるか。