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2009.09.16 水曜日
掃除の時間と月と花
手の届かない場所を眺めることと
少し先の未来を想像することの相似性について考えた。
細微な様子をうかがい知ることはできない。
だけどそこにはおおよそ見えているものが存在する。
くっきりと輪郭が分かるビルかもしれない。
際が霞み色が滲んで見えるタワーかもしれない。
月ほど遠くじゃなくて、目の前の花ほど近くない。
確かに離れているけれど、現実味のある距離をおいてそこにあるもの。
それをしっかりと見つめることから始めたいと思う。
最近、そわそわしている。
2009.09.13 日曜日
Maroon
歩いて歩いて、すこし休憩して、歩いて歩いた。
家に帰るとすごく疲れていて眠くなっていた。
今日を思い返しながら眠ることになるだろう。
ぼくの好きなものは、写真とことばらしい。
写真は撮るよりも見るのが好きで、ことばも書くことより読むほうが好き。
雑誌なんかを読んでいると素敵な写真がたくさん見つかる。
今日はギリシャの街並みの写真に魅せられていた。TRANSITだったかな。
ギリシャはいつか行ってみたいなあ。
ことばは、そこら中にありふれている。
そのありふれている無数のことばの中に、惹かれることばが紛れている。
それを見つけたときの感動はたまらない。
また、そんなことばを生み出せる人を知ったときはとても嬉しい。
ことばって不思議なもので、いままで聞いたことのないことばなんてほとんどなくて
これまでにほかで聞いたことのあることばばかりのはずなのに、
ある条件の下ではすごく洗練されて美しくなる。
その方法を知っている人、知らずに磨かれたことばを発せられる人。
そんな人がうらやましいし、とても好き。
マルーンカラーのニット帽を買った。
すごく気に入っている。
これからの季節、ぼくはゴキゲンかもしれない。
2009.09.13 日曜日
今日のこと
昨日は朝にザーっと雨が降って、気温が急に下がった。
何色とも表現しがたい雲が天球にへばりついていた。
そんな空を見上げて、昨日地球を飛び出していったロケットを想ったり。
寒さが苦手らしいパキラの心配をしてみたり。
濃い目のコーヒーに、チョコレートが欲しくなったり。
何でもない、そんな土曜日を過ごした。
今日の空は少し雲が薄まって、太陽の光が感じられる。
6時少し前に目が覚めて、音楽をかけて、ぼーっとして、本を読んで。
ようやくこれから朝食をつくる。とりあえずコーヒー。
さて、今日は予定がない。
今日一日を残りの人生だと置き換えてみよう。
何ができるか、何をしなければならないか。
んー、何がしたいか。
今日を全力で生きてみよう。
2009.09.05 土曜日
小さな音楽のすぐそばで
畳に寝転がり、夜風に少し寒がっている。
窓の向こうに月が見える。
まだらに雲がかかっている。
乳白色と灰色の混ぜ合わされたような色をしている。
平和である。
実に平和な気分である。
こんな気分で人生を終えられたらいいのに、と思う。
ふっと消えたらいいのに、とか考えることがある。
突発的な妄想に過ぎないのだけれど。
明日は写真展に行くことにした。
たまに更新されるブログで紹介されていた。
無料だし、規模も小さそうだし、行ったことのない街だし。
ぶらりと行くことにした。
畳を眺める夜。
今日は起きていたい気分なのかもしれない。
そんなのはずいぶん久しぶりなんだけどさ。
2009.09.02 水曜日
ふと。
2009.08.30 日曜日
みどり渦巻くかぜの匂い
風が吹きこむこの部屋で、夏が消えようとしているのを感じています。この時期、少し不安定な気分になりやすいのが昔からのお決まりです。だけど同時に、穏やかでありたいとか、静かでありたいとか、やさしくなりたいとか、普段は考えることすら恥ずかしいことを想ったりする時期でもあります。そしてそんなことを想うとき、ぼくはよく窓の外を眺めている気がします。
あなたとは、どれだけの時間を隔てて再会しようとも、きっと一つの空間に溶け込める気がしています。これは感覚的な意見でもあり、経験から言えることでもあります。ぼくたちの空間にはリズムがあって、そのリズムはとても変則的で、ことばで表すのは少しむずかしいものがあります。だけどぼくたちはそんな揺れ動くリズムの上で、妙に気が抜けた感じで話をして、聞いて、黙って、朝の色に気付いたりして、自然にいられるのです。
今日は日曜日。いつもより風が強く吹き、空は白く広がっています。セミの鳴き声と飛行機の音と、今マンションの前を歩いているじいさんの歌声に包まれて、もうすぐ夏が終わろうとしているのを感じています。さあ、短くなった蚊取り線香に火をつけて、読みかけの本の続きを読むことにします。
2009.08.26 水曜日
ちりぢり あふれてゆれて
もやもやっとした気分になることが多い。
なにがあったわけでもないが、もやもやが眼前に広がるのだ。
そういえば今年は突き抜ける青空の下に立っていない。
どこかもやもやした夏空にごまかされている。
先週土曜日に引越しをした。
軽トラ一台であっちからこっちへ。
夜、部屋からは花火が綺麗に見えた。
学生のときに暮らしていた部屋を思い出した。
自分が、あふれ出している。
もやもやしたものに満たされてしまっている。
窮屈だという表現が適当だろうか。
身軽でない、気だるい重さ。
それが憎たらしい。
退治したくても、夜は短い。
深夜が好きだったのに。
色々、こぼしてしまっている。
9月5日。
土曜日の午前中を押さえられた。
くやしいから、午後一番に予定を入れようと思う。
なんでもいい、映画のチケットを予約することにした。
2009.08.20 木曜日
ぼくらの明日
2009.08.07 金曜日
むすぶ線にのる
牛乳を飲み干した。
ぐる、と胃が鳴いた。
風呂をみがいた。
きゅ、と響いた。
他には、つめを切った。食器を洗った。洗濯も干した。部屋干しだけど。ケータイの充電も問題ない。itunes storeでアルバムを買ってみた。初めてかな。昨日買った本もかばんに入れた。もう大丈夫。
学生の頃、何度夜行バスに乗っただろう。行き先はすべて東京。人に会いに、人を迎えに、そして就職活動のために。一番安いバスだったからとても狭かった。激しい揺れで眠れなかったり、休憩のたびに目が覚めたり。それでもうとうととしているうちにバスは東京へとぼくを運んでくれていた。朝、光がまぶしくて目覚める。あの瞬間がたまらなかった。
色々書きたかったけど、もう時間だ。
またいつか。
2009.08.05 水曜日
まぬけ
2009.08.02 日曜日
花火は綺麗だったけれど
どこまで近づけるのか分からなかったけれど
できるだけ近くまで歩み寄ってみたいと思って
夢中になってとにかく進んでみたら
気付いたときにはとても近くにいて
すごく安らいで、満たされた。
だけどいつの間にか
ほんのわずかだったはずの距離が
そちらが離れていったのか
こちらが逃げ出したのかよく分からないんだけど
ぐーんと遠くなって
ときどきもう一度近づこうとしてみるんだけど
なんだか距離っていうよりも
なんていうか隔たりを感じてしまう。
それ自体は空しいことなんだけど
ああ、なんか終わったんだなって
そんな気分で花火を見てたんだ。
2009.07.30 木曜日
ひかりもかげもない
light red light, originally uploaded by ixao_AGP.
朝の空を見上げて、軽そうな雲が流れるのを見つけて、その雲の端っこが緩やかに滲んでゆくのを見つめる。それが好きで、そんな時間が幸せで、それだけでいいのにって思う。
道端の赤い花のその赤色がただでさえ素敵なのに、光を受けてとても印象的にぼくの眼に映る。そんなことに感動して、嬉しくて、少し口元が緩む。
ここ数日、あちこちにクモの巣が増えている。細い細い糸がチラチラと光を受けてまぶしい。風が吹くと素直に揺れる。巣は破れることなく、ゆらゆらきらきらとなびくだけだ。階段の途中で足を止めて見入ってしまう。ずっと眺めていたい気分になる。
そんなふとした瞬間やちょっとした時間があればそれだけでいいはずなのに、どうしてこうも気分が晴れなかったり考えることが内向きになってしまったり、ときどき少し哀しくなったりするんだろう。それが分からないのがまた哀しいのだ。
2009.07.28 火曜日
欲しいもの
2009.07.26 日曜日
the needfuls
机の上が乱れている。封を開けていない郵便物、ラジオで聴いた曲名のメモ、撮り終えたフィルム、クリップ、青のペンが2本、二度と会わない人の名刺、まだまだ挙げるとキリがない。とにかく散らかっている。
物をたくさん持つのは苦手で、できるかぎり身の回りには必要なものだけを揃えるようにしている。一生住むわけではない部屋に不要なものを溜め込むのは、合理的じゃないと思う。そもそも、たかだか1Kの部屋なのに、どこに何があるのか把握できないほどの物がある状態ってあまり想像できない。まだしばらくは小さな部屋に一人で暮らしていく日々が続くのだろうから、物を増やしたくないし、増やすことはできない。だから長く好んで使えるものが必要になる。
就職して4ヶ月が過ぎようとしている。この社員寮に住んで4ヶ月になろうとしている。部屋のために買い足したものといえば、キッチン用のマットくらいだろうか。いまでも部屋の半分のスペースに寝床とデスクを置いているだけで、残りの半分は空白になっている。殺風景だと言わざるを得ないのだけど、これには「さっさと寮を出るつもりだから、この部屋に投資したくない」という理由がある。寮って性に合わない。すごく安いけど。
そんな殺風景な部屋にも、少しくらいは飾り気が欲しいものだ。だから壁には、好きな文章をプリントアウトしたものが1枚と、人に譲ってもらった好きな写真が1枚飾ってある。今はこれで十分だと思っている。
さあ、いよいよ(早くも)来月、寮を出ることにした。これまでの退寮者の最短入寮期間は6ヶ月だったらしい。一番我慢のない新人である。
2009.07.20 月曜日
三日間、ぼくは少しだけ
この3連休、ゆったりした気分だった。いつもの休日と同じように土曜日の朝に掃除や洗濯を済ませたあと、さて残りの時間をどんな風に過ごそうかと考えていた。生温い風に当たりながら、ぼんやりと外を眺めながら。
*****
土曜日の夜は友人と食事をした。久しぶりの新宿はやっぱりややこしくて迷ってしまった。そしてやはり背の高いビル、近くで見上げるには高すぎるビルの多さが少し嫌になった。でも、もちろん、食事は楽しいものだった。いつ会っても「変わらず」に「変わってゆく」その人に会うことは、ぼくにとってとても大切なことだ。つまりとても大切な人なのだ。それもまた変わらないことなのだろう。
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日曜日。物件探し。素敵な所を見つけた。築31年という古物件だけど、窓からの見晴らしが良くて静か。そして和室。だけど寿命が2年だそうだ。33歳の夏に姿を消す運命。そんな運命。
帰り道、旧友を食事に誘った。単なる愚痴だったり、確たる想いだったり、いろいろこぼしながらカレーを食べた。そして少しだけ酒を飲み、音楽を聴いた。たぶん彼はぼくが一番たくさん写真に撮っている友人だ。中学生から高校生、そして大学生への変貌を記録してきた。大学の卒業式へ向かう電車内で撮った彼の写真は、実はぼくのお気に入りだったりする。この春から同じく上京し、働き始めた。入社式の直前、彼の新居で、彼のアゴに茂っていたヒゲをそり落とす儀式に同席し、写真を撮った。そういえば高校の卒業式の日にも、男子トイレで彼が同じようにヒゲをそり落とす写真を撮ったのだった。いつか写真をまとめてプレゼントしてやろうと思う。
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そして今日、月曜日。起きた直後は、本当に今日は休みなのだろうか、なんて不安を感じたりしながらそわそわしていた。もちろん今日は海の日だ。国民の休日なのだ。残念なことに海を感じるような過ごし方をすることはできなかったが、日中は初めて訪れる街を歩いてみたり、コーヒーを飲みながら近い将来のことを考えたりして過ごした。夕方からは大きめの本屋に行き、自分の持つ興味を放し飼いにして数時間過ごした。そこで、世界には知らないことがたくさんあるのだな、という何十回目かの気付きを得た。そしてまた“知りたがり”の性格である自分が、しかし知るための行動をあまりできていないことに気付いた。これはいかん、とエスカレーターを下りながら自省したのだった。
・・・ 炊飯器が鳴った。ここまでにしておこう。
2009.07.14 火曜日
gatan goton
帰りの電車、いつも西日に染められる。まだまだ新人なので、会社に残ってもすることもないからさっさと帰ることができる。だから新人は夕陽に目を細めることができるのだ。目を細めながら、ぼんやりと考えた。世界だか社会だか知らないが、ぼくが身を置いているこの場所にはいろんな人がいるのだと。
今日、両手に軍手を着け、少しからだを斜めにしながら左手に持った杖を頼りに駅構内を這い進む人を見かけた。背負ったリュックサックは背中から落ちそうになっている。力のない両脚を包むズボンは、ひたすら地面を舐め続けてひどく汚れているが、視線はただ進むべき方向を睨んでいた。
理由があって車椅子が得られないのだろうか。それとも、車椅子を拒み、自分の力で「歩む」ことを選んだのだろうか。オレンジ色の車内で、そんなことを考えていた。
2009.07.12 日曜日
新書とハードカバー
朝から夕方までかけて、本を2冊読んだ。せっかく晴れたこんな日に、ぼくは部屋にこもって本を読むことにしたのだった。おかげで、久しぶりに落ち着いて読書することができた。ベッドでごろごろしながら、椅子で片膝立てながら、うろうろしながら、うとうとしながら。
活字を目で追う行為は、なかなか興味深い。明らかに読む速度は一定でなく、鈍行になったり急行になったりする。難解な部分なんかは一旦立ち止まってみて、んー、ふむふむ、とブレイクタイムを入れてみる。時々、分からない部分は飛ばしてしまうこともある。面白いところはどんどん読み進めたいので、するすると紙面を視線が走りぬける。あまりにするするするすると進んでしまっているとなんだかもったいない気がしてきて、少し落ち着いてみる。たまに読み方が分からない、あるいは意味すら分からないことばが出てきたりする。そんなときは少しわくわくする。話の内容とは別に。
新書とハードカバーを一冊ずつ、ぼくの日曜日にちょうどいいらしい。