Posts tagged “NikonD40”

2011.02.04 金曜日

あたまのなか2010.03.04

FRISK

2010年3月4日にメモ書きしたらしい文章が見つかった。
普段じぶんが何を考えているのかを記録したかったのだと思う。
(あんまり動機をよく覚えていないし、書きっぱなしで忘れてた。)
内容としては別におもしろいことは何もないですが、
こんなこと考えて過ごしている人間です、と発信してみます。

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なくしたもの、みつけたもの。
持っていなかったものを手に入れる喜びとはまた違う、
なくしたものを再び取り戻すことへの感動について。

小麦粉の達人。
お米が好きだ。お米料理が好きだ。
そんな日本人として基本的な性質をもっているぼくだけど、小麦粉料理に憧れる。
こねたりねったりが苦手だから、小麦粉料理がうまいひとと暮らしたい。

はじめての駅にて。
有名な駅の間を埋めているささやかな駅たち。
飛び抜けて面白いものはないけれど、
駅前の個人店などの佇まいはどこか魅力的。
知らない駅で下車をしてふらふらめぐって歩きたい。

傘のシワ。
傘をうまくしまえる人は案外少ない。
何も気にせず無造作にしまう人、
綺麗にしまおうとするが叶わない人、
妙に丁寧にしまう人。
開かなければそれでいいはずの傘への想いがシワとなって健在化する。

メガネケースを開く音あるいは閉じる音。
硬い素材をフェルトのような生地で覆ったものでつくられたメガネケースをよくみる。
ふたつほど蝶番がつけられていてパカパカ開く。
メガネはデリケートなものなので、ケースの開け閉めは意外と固くされている。
その開け閉めのときに聞こえるパクヮンという音が耳に心地いい。

カバンの女性持ち。
女性には手提げカバンを腕に掛けて持つ人がいる。
スーパーの袋でも、重かろうとなんだろうと腕に掛けて持つ。
そんな持ち方すると腕の血流が悪くなるんじゃないかと
見ていてそわそわするのだけれど、試しにやってみると案外持ちやすい。
しかし男には絶望的に似合わない。
そこに女性らしさの本質があるのではないかという考察。

見えない動力。
あらゆるものが自動化されている。
エスカレータ、自動ドア、自動改札など。
それらの動きにはモーターなどの動力が必ず存在するが、
それらを目にすることはまずない。
だから人は想像する。
ウニウニ回るベルトコンベアとか、重厚な歯車の集合体とか。
もしかすると、知らない生命体が頑張っているのかもしれない。

3重の膜。
仕事がえり、電車で立って窓の外を見ている。
そのとき実は3つの層を見ていることに気づく。
まず、ガラス。次に景色。そしてガラスにうつる車内

機械がきばをむくとき。
自動券売機がえらい勢いでピタパを吐き出して飛んでった。

洗剤コーナー。
密封されているはずの洗剤。
だけどスーパーの洗剤コーナーを通ると必ず洗剤の香りがする。
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何考えて生きてんだろうな。

2010.10.06 水曜日

オレンジの星

a orange star

時間が経つのは早いものでもう10月。夏がなかなか終わらないなあと思っていたら、ばーっと雨が続いて、いつの間にか遅刻気味の秋空がすまし顔で広がっている。今日の空を秋空と呼ぶにはまだ少し未完成のように感じるけれど。

秋と空のイメージ。
綿をほぐして薄く薄く伸ばして手遊びしていたら、冷たくて気持ちのいい風に吹かれて高い空へとさらわれてしまったような、そんな雲が浮いている。ベランダから空を見上げると飛行機が飛んでいて、綿雲と飛行機、どちらのほうが高いところを泳いでいるのかわからないけれど、飛行機は見失いそうなほど小さくかすんでいる。昼間の星のように太陽の光がちらちらと反射する機体を見つめていると、また風が吹いて甘い香りがする。それがキンモクセイだと気づいて、ああ秋が来たんだと少しうれしくなる。

2010.09.17 金曜日

ぜんまいを巻けない

bed

キッチンで飲むビールはおいしいよね、という話をした。
そうそう、同じビールなのにどうしてあんなに違って感じられるのだろうか。

すこし肌寒い秋口の朝にベッドで飲むコーヒーもいい。
まだ覚醒しきらない意識にゆっくりと光がさしこんでくる。

ぼんやり夢見心地でいろんなことを考える。
乾かない洗濯物のこと。
読みかけの本のこと。
書きっぱなしのメモのこと。
夏が終わった夜のこと。

今日もまた始まった。
まだ始めたくない、なんて思いながら
冷たい空気で鈍った朝日の中にいる。

2010.08.05 木曜日

月が形を変え、星は流れた

moon time

なんかあっという間に毎日が過ぎていく。

雨が降って頬にあたり、地面に落ちて消えていく。
頬が濡れたことなんて気にもしないし忘れてしまう。
毎日がそんな感じで、もう8月になっていた。

自ら走っているようで、走らされているのかもしれない。
頑張っているようで、引きずられているだけなのかもしれない。

2010.07.17 土曜日

空は青く, for a walk

7_17_sky

なつかしい朝。
今日は空が広いところに行こうかな。
フィルムカメラにしようかな。
どんな土曜にしようかな。

2010.06.10 木曜日

木曜日

room

古い部屋です。
冬はさむく、夏はあつい。
風が吹けばきしみ、ゆれる。
そんな部屋です。

フリマで買った額縁に
20歳になる直前のぼくがみた景色を入れた。
あれから4年、もうじき4年。
これからどうなる、これからどうする。

2010.05.30 日曜日

白っぽく、日曜日、また雨が降る

30-may

雲に遮られていたとしても、
それでも太陽はまぶしいのだと、あかるいのだと思い知らされる。
静かですこし寒い日曜日に孤独を感じてしまったとしても、
本当に耐えられなくなったらメールがある、電話がある、会いに行ける。

今日の気温は5月としては20年ぶりの低さだそう。
そして今夜は雨音に満たされるでしょう。

2010.05.29 土曜日

パキラ、土曜日、使徒襲来。

a

平日と休日。これらは本当におなじ24時間で構成されているのだろうか。なんてことをぼけっと考えながら買ったばかりのソファにへばりついている。快適。

せっかくの土曜日、ぐっすり寝てやろうともくろんでいたにもかかわらず、昨夜から開け放った窓と点けっ放しの電球のおかげで5:30起床だった。空の様子は天気予報どおり不安定そうで、いつ雨が落ちてきてもおかしくないような色をしていた。どうせ一日中家にいるつもりだから構わないのだけど、日差しの注がない朝はどこか物足りない。たたみにできた陽だまりを足先でなぞるときの、あのしあわせな温度が欲しいのだ。

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2010.05.24 月曜日

ほんで月曜日

green age

雨降りな月曜日。電車は傘の分だけきゅうくつで、湿っぽい。人間が底に沈んでその上を湿気がただよう。濡れたガラスの向こうに深緑の木が揺れる。

ことばを使いこなすことの難しさを想う。日常のいつでもどんなときでも、身の回りのすべてから受ける様々な刺激によって感情は動かされている。その刺激が大きければ笑ったり泣いたりするだろう。でも、小さな刺激、例えば窓の外から聞こえてくる原付バイクのエンジン音だとか、机の上で不規則に体をよじるイヤホンコードだとかを見聞きしたときに、何も感じていないわけじゃないけど身体的な反応を起こすまでには至らない刺激を受けたとき、その微信号をことばで表現したいと思う。自分がささいなことから潜在的に何を感じているのか。それをことばにするには相当に洗練された言語感覚が必要だろう。それがまだできない。いつかできるのかもわからない。そんなことを時々考えている。

月曜日が終わる。風がガラス窓を揺らす不規則な音がどこか遠くで小さく、確かに鳴っている。

2010.05.22 土曜日

Enjoy coffee

coffee in the morning

2010.05.21 金曜日

at dusk

0009

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2010.05.16 日曜日

三歩

0011

歩いた。

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2010.03.07 日曜日

ものとひかりの、びみょうなかんけい

top-middle

光について。

光をよく知るためには、よく見なければならない。日常で「いい光」に気づくときがある。そのときにしっかりと見ること、なぜ「いい光」だと察知したのかを、自分なりに説明できるように解釈することをしてみよう。

2010.03.07 日曜日

雨の日には肩を落として

raining washing

「せっかくの週末なのに雨が降るなんて。」 

たぶん多くの人がそんな思いで朝をむかえたんじゃないだろうか。昨日があれだけ晴れて暖かかったこともあって、なんだか目の前に出された春をひょいと取り上げられたような、そんな気分。

土曜日の朝に洗濯をするのが自分の中の決め事になっているし、どうせ日曜日も雨らしいから、しかたなく洗濯機を回して部屋干しすることにした。まったく、雨の日の洗濯ほど気分が盛り下がるものない。

2010.03.03 水曜日

満員電車って字面がすでにきゅうくつ

winter to spring

今日も今日とて寒さが厳しい。厳しいとはいえ数週間前の絶望的な底冷えにくらべればずいぶん優しい。引退したあとも怖いといえば怖いけれど、現役時代に比べれば神のような優しい笑顔を見せる部活の顧問のようなかんじ。違うか。とにかく、春は確実に近づいてきているようだ。

そんな3月3日。今朝は少しだけ寝坊をした。たいした寝坊ではないからと、危機の中にいながら妙な余裕を味わっていたら本当に遅刻しそうな時間になってしまい、家から駅のホームまでノンストップで走る羽目になった。冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、顔の表面がとても冷たくなり、体が熱くなってくる。冬の体育の授業を思い出させる感覚だった。約8分間全力疾走して満員電車に乗り込んだ。

仕事を始めるまでは本当の満員電車に乗ったことがなかった。人がいっぱいで完全に飽和状態の車両のドアから2,3人のおしりとかカバンとかがはみだしてて、でもあたまとクツはなんとか入り込んでいる状態から、駅員さんがぎゅうぎゅうと彼らの体をドアの内側へと必死に詰め込む。そんなイメージを持っていた。ところが実際は、車両の中の方(座席とつり革しかないエリア)にはまだ余裕があるにもかかわらず6,7人がドアからこぼれ落ちていて、どうにか乗り込むために駅員さんではなく彼ら自身で目の前の仲間を押し込み、自分もねじ込む。そして服とかが挟まれる。ドア付近の人々は苦悶の表情を窓ガラスにすり寄せ、座席を確保した人々はほとんどが眠っている(あるいは寝たフリをしている)。電車の揺れに同調して、誰かのうめき声のような呼吸音が漏れる。そんなことが毎朝、同じ時間に、それぞれの役割を変えながら行われているのだ。まあ、見ている分にはおもしろい。

だけどずっとこんなのはいやだな。

2010.02.28 日曜日

2月の朝、下北沢にて

favorite one

「道」というテーマで下北沢を撮ってきた。テーマを決めて撮ることはあまりしないけれど、最近東京が舞台の映画を何本か観た影響ですごく東京の風景を撮りたくなった。そこで普段からうろうろしている下北沢に行き、ごちゃごちゃと縦横に伸びるたくさんの道の中でも目が反応した道の景色を撮ることにした。

Shimokitazawa loads

下北沢駅前のにぎわいが嘘のように、駅から少し離れると静かな街が広がっている。その街のなかを静かにまっすぐ伸びる道は気持ちいい。今朝の曇った天気のせいもあってか、しっとりとした雰囲気が街全体を包んでいたような気がする。