2011.02.12 土曜日
たちつてとうきょう
ぼくはこの都市が、空間が、わりと気に入っています。
具体的でないことを考えているとき、つまり色も形も重さも大きさも曖昧で、そこにあるようでないような事柄について考えているときは、「もやもや」としか表現のしようがない得体のしれぬ何かを頭の中に住まわせて、そのふるまいをひたすらじっと観察しているような状態にあるのかもしれない。そして、その観察した内容をきちんと言語化するには自分なりの方法や技術が必要である。しかし、もしこれらを知らなかったら「もやもや」が頭の中に留まったままとなり、いつのまにか見失ってしまうだろう。だけど決して消滅したわけでなく、「もやもや」は宇宙で迷子になった船のように音もなく飛びつづけ、ときどき、どこかの名もなき恒星の光をその機体に鈍く反射させてはその存在をぼくに気付かせようとし、ぼくは地球でふいに夜空を見上げるのだった。
金曜日の夜、渋谷のWWWっていうライブハウスでやってたイベント「PUMA SOCIAL CLUB」に行ってきた。イベントは1/29〜2/5の期間、土曜日は18:00~29:00の営業なので今頃クライマックス。
ダーツと卓球とビリヤードとフーズボールがあって、DJブースもあった。お酒飲みながらの卓球があんなに面白いとは。大はしゃぎしてた。PUMAのスタッフの人たちとダブルスで試合をして勝ったのでドリンク券をもらいました。ありがとう。
フーズボールが面白かった。(初めて遊んだ)
2010年3月4日にメモ書きしたらしい文章が見つかった。
普段じぶんが何を考えているのかを記録したかったのだと思う。
(あんまり動機をよく覚えていないし、書きっぱなしで忘れてた。)
内容としては別におもしろいことは何もないですが、
こんなこと考えて過ごしている人間です、と発信してみます。
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なくしたもの、みつけたもの。
持っていなかったものを手に入れる喜びとはまた違う、
なくしたものを再び取り戻すことへの感動について。
小麦粉の達人。
お米が好きだ。お米料理が好きだ。
そんな日本人として基本的な性質をもっているぼくだけど、小麦粉料理に憧れる。
こねたりねったりが苦手だから、小麦粉料理がうまいひとと暮らしたい。
はじめての駅にて。
有名な駅の間を埋めているささやかな駅たち。
飛び抜けて面白いものはないけれど、
駅前の個人店などの佇まいはどこか魅力的。
知らない駅で下車をしてふらふらめぐって歩きたい。
傘のシワ。
傘をうまくしまえる人は案外少ない。
何も気にせず無造作にしまう人、
綺麗にしまおうとするが叶わない人、
妙に丁寧にしまう人。
開かなければそれでいいはずの傘への想いがシワとなって健在化する。
メガネケースを開く音あるいは閉じる音。
硬い素材をフェルトのような生地で覆ったものでつくられたメガネケースをよくみる。
ふたつほど蝶番がつけられていてパカパカ開く。
メガネはデリケートなものなので、ケースの開け閉めは意外と固くされている。
その開け閉めのときに聞こえるパクヮンという音が耳に心地いい。
カバンの女性持ち。
女性には手提げカバンを腕に掛けて持つ人がいる。
スーパーの袋でも、重かろうとなんだろうと腕に掛けて持つ。
そんな持ち方すると腕の血流が悪くなるんじゃないかと
見ていてそわそわするのだけれど、試しにやってみると案外持ちやすい。
しかし男には絶望的に似合わない。
そこに女性らしさの本質があるのではないかという考察。
見えない動力。
あらゆるものが自動化されている。
エスカレータ、自動ドア、自動改札など。
それらの動きにはモーターなどの動力が必ず存在するが、
それらを目にすることはまずない。
だから人は想像する。
ウニウニ回るベルトコンベアとか、重厚な歯車の集合体とか。
もしかすると、知らない生命体が頑張っているのかもしれない。
3重の膜。
仕事がえり、電車で立って窓の外を見ている。
そのとき実は3つの層を見ていることに気づく。
まず、ガラス。次に景色。そしてガラスにうつる車内
機械がきばをむくとき。
自動券売機がえらい勢いでピタパを吐き出して飛んでった。
洗剤コーナー。
密封されているはずの洗剤。
だけどスーパーの洗剤コーナーを通ると必ず洗剤の香りがする。
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何考えて生きてんだろうな。
男の弱さなんかが象徴的に、ほどよく表現されていて、
そんな男が奏でるロックに心を持っていかれるわけで。
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去年の10〜11月くらいに渋谷のシネセゾンで上映してた。
観ようかなーと思っているあいだに終わってた。
じゃあとりあえず原作だけでも、と思って読んでみた。
その後で映画の公式Webページで予告編動画を見たら、
喫茶店<すぼうる>のイメージがぴったりで安心した。
だた、ぼくのイメージでは店に入って右側にカウンター。
映画では左側にあるっぽい。予告編じゃよくわからないけど。
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みるめ君とえんちゃんがバス停でジュースを飲む。
えんちゃんがボソリとつぶやく。沈黙。
みるめ君はスーパーカブにまたがり行ってしまう。
が、Uターンして戻ってくる。
カメラが反対側に切り替わる。逆光。
バイクのうしろにえんちゃんが座り、走り去っていく。
好きなシーン。
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人の「しあわせ」と「さみしさ」を典型的に、抽象的にえがく。
人は人を好きになる。
鈴木寿俊が死ななかったらどうなったのか。
ふたりでしあわせに歩いていけたんじゃないかな。
そう思うのは無駄だろうか。
彼は死んでしまったし、これは物語であるから。
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昨日は小学校時代からの友人とあそんだ。
みんなどんどん変わっていくけど、変わらない。
相変わらずってすばらしい。
で、今日観た映画(DVD)。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
昨日友人に勧められた。あんまりアニメは観ないけど。
とりあえず続きの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』も観よう。
『リンダリンダリンダ』
いつかのメモに観たい映画として書いてあった。
上記の友人たちと高校3年生の文化祭でバンドやろうとしたんだけど、
出演者を決めるクジで外れちゃって出られなかった。
昨日、そんな思い出話をして、この映画をおもいだした。
『リンダリンダリンダ』を観ているあいだ、高校時代を思い出していた。
教室とか廊下とか部室とかの風景と、それから音。
あれからもう5年とか6年とか経ったらしくて、
すでに記憶はダイジェスト版みたいになっちゃってる。
あれだけの日々を過ごした時間が、空間が、
なんだかすっかり思い出になってしまって
ああ、これが時間というものの正体か、と
そんなことを考えていた。
ここ数日、ぐっと寒さが深まってきた。
数日後には2011年。ぼくは25歳になる。
25歳という時期がどのようなものなのか想像もできない。
きっと、今とそんなに変わらない。
自分が変わろうとしなければ。
仮に80歳まで生きるとして、あと56年。
今日から56年後、「さあ死ぬぞ」というときになって、
自分の人生はどんなものだったのかを振り返ったときに、
ぼくはいったい何を想うのだろう。
何を愛して生きていくのか。
何を遺して死んでいくのか。
想像もできない。
なつかしい青空に覆われながら時間がとまった。
ぼくの好きだった場所にはまだ足あとが残っていた。
雲の隙間、高いところを飛行機が抜けていった。