Posts by ixao
2012.09.09 日曜日
現在と未来の思い出
小学校からのともだちが来年、結婚するそうだ。あの頃は想像もしなかったことが、刻々と流れる時間の中で少しずつ実現されていく。どこか昔の気持ちが宿ったままのぼくの脳みそはうまくそれらを処理することができなくて、なんだか時間軸から振り落とされてしまったような気分になる。最近、はっきりとしていたはずの思い出は淡いグレー色に薄まっていく一方で、ことばにできない感覚のようなものは自分の中でどんどん濃くなっていく。そのことがとてもつらく感じる時がある。現在のために、あるいは未来のために生きるというのはとても前向きな姿勢だけれど、ぼくはどちらかというと思い出を残すために生きていて、それはとても難しいらしいことにようやく気がついた。
2012.08.26 日曜日
飛行機がじっとしていた
今朝のJ-WAVEにゲストとして志茂田景樹が出ていて、視聴者からのいろんな相談に短くコメントを返していた。カメラの手入れをしながら流し聞きをしていたら、「自分に自信が持てない。どうしたら自信が持てますか?」という質問が投げかけられ、それに対してこんなことを言っていた。
『他人を信じなさい。他人を信じることができれば、他人を信じている自分を信じることができるから。それが自信になる。』
なんだかとても新鮮で、あたまにすっと入って、くるくるっと回って、すとんと落ちついた。あと、どうでもいいけど、「レインボーカラーの髪の毛」って紹介されたあとに「本当は五色なんですけどね」って言ってた。知らなかったけど、それはまぁどうでもいい情報だった。
大阪から東京へ向かう飛行機で、窓の外に別の飛行機を見つけた。同じ速度で同じ方向に飛んでいたからぴったり止まっているように見えた。空でじっとしている飛行機は妙に静かな雰囲気で、じっと前を見据えてる姿が印象的だった。
2012.08.20 月曜日
なつかぜ
今朝、5時半頃に部屋の掛け時計が止まった。電池切れだった。
全力で駆け抜けた夏休みの反動だろうか、土曜日の夜から38℃の熱が出て、なかなか治らない。今日も会社には出たけれど10時にギブアップ。帰りに内科に寄って薬をもらってきた。なんとなく弱り気味。
友達がFBとかのプロフィール写真にぼくの撮った写真を使ってくれるととてもうれしい。ぼくがその人をどう見ているのか、どの角度、どんな瞬間が素敵だと思っているのか。そういうことを本人と共有し、受け入れてもらえたのだと感じるから。
さっきスーパーに行ってきた。電池とポカリスエットを買ってきた。電池ってこんなに高かったっけ、と思った。町の掲示板から先週末の花火大会のポスターがなくなっていた。夜風がとても涼しくて、気持ちがよかった。
2012.08.19 日曜日
夏の感触
2012.06.27 水曜日
梅雨について、水について
毎年やってくる梅雨を、毎年いやがっていた。だけど今年はあまり気にならない。きっと、蒸し暑いどころか肌寒い日々が続いているのと、雨のせいで中止になった予定が今のところはないからだと思う。来月はキャンプと富士山登りがあるから、週末に雨が降ったらすごい顔で空をにらむだろう。
今日気づいたこと、というか確信したことがある。それは、飲料水の「い・ろ・は・す 」を飲むと吐き気を誘発するということ。これまで何度か飲んだことがあるんだけど、なぜかだいたい軽い吐き気がして、飲みきれずに捨ててる。たぶんからだに合わないのでしょう。ぼくが好きなのはクリスタルガイザー。たまにボルビック。夏になったら炭酸水もすき。セブンイレブンの炭酸水とか。
自家現像についてだらだらと調べていた。初期投資と償却期間について頭の中で会議を開いてる。現像作業に熟練しさえすれば、現像したいときに現像できるというオンデマンド感は、せっかちなぼくには何ものにも代えがたいメリットだ。やっちゃおうかな。
2012.06.24 日曜日
モノクロ写真
2012.06.03 日曜日
クライミング
2012.06.01 金曜日
6月
別に何をしていたわけじゃない。毎日仕事をして、週末は体を動かして、ただほんとうにそれだけで、何週間も過ぎていった。写真を撮らなくなったわけではなく、むしろこの一ヶ月はたくさんシャッターを押してきたように思う。これまでとちがうのは、レンズを向ける対象が、あいまいでぼんやりとした風景から、ともに時間を過ごす友人たちになっていることだろう。そういった写真をこれまでは撮ることがほとんどなかったから、その楽しさをようやく知ることができてうれしいきもちがある一方で、いままでに撮ってきたような写真とは距離ができてしまいそうなそんな気がして、すこし不安だったりもする。大味な料理ばかりを食べて暮らしていると、素朴な食材の微妙な風味に対しての感覚が鈍くなるように、自分だけが見えていた世界のようなものの見方が損なわれてしまわないように、ときどきひとりになることも必要なのだろうか。
今日から6月、関東も梅雨に入ろうとしている。道端のあじさいの葉が大きくなってきた。湿気をふくんだ風が耳元を通りすぎるようになった。今年の梅雨は長くなるかもしれない、と天気予報で聞いた。梅雨が長くなると、夏が短くなるのだろうか。それとも秋の訪れが遅くなるのだろうか。いずれにせよ四季は廻り、それに合わせて服装を変え、日々の気候に短い感想を添え、どこかでまたひとつ歳をとり、黙々と歩いていくのだ。
2012.04.15 日曜日
週末がいとしくて
2月に異動してから生活のリズムが変わった。
平日には仕事のことしか考えられないせいか、
どうにか週末を楽しく過ごそうという欲が湧いてくる。
最新、週末はだいたいクライミングをしている。
自分を信じることで恐怖心を乗り越える、だなんて
そんなことできないって思っていたけれど、
やればできるんだなぁと気付かされた(何度も落ちてるけど)。
生傷をつくりながら精神的な鍛錬を繰り返す、
いまはそんな週末に生かされているのかもしれない。
今年の花見はパーフェクトだった。
サンドイッチとドーナツ、それからコーヒーを買って、
近所の静かな川沿いの土手に寝ころがって、
八分咲きのさくらが揺れるのを眺めていた。
にぎやかな花見よりも、やっぱりああいうのが好きだ。
2012.03.25 日曜日
はじめての街
2012.03.21 水曜日
花の写真
2012.03.13 火曜日
雪にミルクをこぼして
2012.03.12 月曜日
もくもくと
2012.02.26 日曜日
たとえば
2012.02.19 日曜日
ぼくは南下していた
2011.12.31 土曜日
僕なりに考えて出した答えの中に
2011年6月29日、並走する電車について書いた。
12月、人生が分岐していく瞬間に立ち尽くしていた。
自分が愛している人を失うこと。
自分を愛してくれている人を失うこと。
どちらのほうがより不幸なことだろうか。
そんな文章をインターネットで読んだことを思い出した。
すこし未来。日付はわからない。
そこに大きくて重たいひとつの目標を置いてみた。
どんな道をたどるのか、どれだけの時間がかかるのか。
そんなことは歩きながら描いていけばいいって考えていた。
勝手にそんなこと考えていた。
2011年もことばや行動をひとつひとつ積み重ねてきた。
それをじっくり読み返してみたいと思う。
何を選んで、何を選ばなかったのか。
誰を求めて、誰を遠ざけたのか。
なぜ今の自分がいるのか。
今年もありがとうございました。
2011.12.14 水曜日
飛行船とクジラ
あなたは知っているだろうか。この町の空に、ときどき、飛行船が浮かんでいることを。音もなくゆっくりと空を進んでいく飛行船を見ると、ぼくはいつも孤独を感じてしまう。とても大きいのに、あまりにも広い空にぽつりといるせいで、どうしようもなくひとりぼっちに見えてしまう。まるで海で群れからはぐれたクジラのように。
ぼくはあんなふうに大きくないにもかかわらず、ついついひとりになることを選びがちなところがある。だけど、この複雑な世界をひとりで歩くのはとてもむずかしい。ひとりになったつもりでも、どこかで誰かのことを想っていたり、どこかで誰かが想っていてくれたりするから。それに気づいたとき、こんな景色を誰かと一緒に眺めたくなったりするのです。