Posts tagged “BessaR3A”
2013.01.06 日曜日
ディズニーランド
2013.01.03 木曜日
くぼみを満たすもの
2013.01.01 火曜日
コマとコマの隙間
2012.12.31 月曜日
ジュウガツザクラの咲く夜に
近所の遊歩道にジュウガツザクラが植えられている。ぼくはそんな名前の木があることを知らなかった。この街に引っ越してきたのが10月中旬、そのときには一つの花も咲いていなかったので、なんだ名前と違うじゃないかと通るたびに思っていた。
先週の夜、その遊歩道を歩いて駅に向かう途中で、頭上で小さな点が白く光っているのに気付いた。硬くて冷たそうな細い枝からぽつぽつと、卵殻膜のように薄い花が咲いていた。それが月明かりに照らされてくっきりと、世田谷の空に浮かんでいた。年の瀬に桜の花が見られるなんて、26年生きてきて考えもしなかったことだった。
今年は初めて東京で年越しを迎えようとしている。本当は一年間の疲れを癒すために海外旅行に行こうとしていたのだけれど、年末の忙しさにかまけて予定を計画することをさぼってしまい、気付いたときには航空券もホテルも空きがなくてゲームオーバーだった。
それならばおとなしく故郷に帰ればいいのだけれど、数日前に同窓会も終わっているし、家族もみんな好き好きに過ごすらしいし、地元はとても寒いし、なんだか気が進まなくて、こうして東京の自宅でFMラジオを聴きながらのんびり過ごしている。年が明けてから気が向けば帰ろうと思う。年越しは東京の友だちとわいわいやることになりそうだ。
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2012年、総括すると楽しかった。
ここでも何度か書いたけれど、今年2月に会社の部署異動があり、忙しいチームに配属された。これまで月あたりの残業時間が10時間もなかったのに、2月以降12月までは平均50時間くらいまで増えた。カリフォルニアと連動して仕事をしている都合で、土曜日も午前中までは仕事をするはめになった。動かす金額が大きくなったので、関わる人も多くなって、その人たちの間に入ってプロジェクトをコントロールするのは骨が折れた。本当に心の骨がポキッと折れた気がした日もあった。
そんな日々だったけれど、仕事に対するモチベーションは落ちなかった。去年までは休日に好きなことをするために平日は我慢して仕事をしているような感じだったが、今年は仕事にはある意味無思考で取り組まざるを得ないほど忙しく、それゆえもやもやしている暇などなく、ひたすら走り続ける感じだった。そして休日だからといってゆっくりするために無理にブレーキを踏むと月曜日がつらくなるので、推進力にそのまま乗っかるようにして過ごしてきた。だれかの誘いにはだいたい応じたし、好きなことを好きなだけやってきた。おかげで日々が充実して、充実させるために仕事をがんばろうと思えた。時間の経過がとてもとても早かったけど、その流れをなんとか乗りこなせたこと、それが楽しかった。
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写真について。
今年はフィルム市場の縮小をひしひしと感じる一年だった。富士フイルムはよく使っていたREALA ACEを販売終了にしたし、Kodakは経営破綻してフィルム事業を手放すことになった。写真屋の現像は値上げされて、おまけにモノクロ現像納期も長くなってしまった。じゃあ自分で現像すりゃあいいじゃないかと思って調べてみると、そこまでコストはかからないし難しくもないようだったので、現像タンクと薬品だけはカメラ屋で買って、あとは100均の道具を使って自家現像するようになった。実際、現像自体は簡単だった。微妙な調整はまだまだといった感じだけれど、回数を重ねて熟練するしかないのだろう。とにかくいつでも現像できるのは精神的によいことだ。
それから、2012年は写真で撮るものが大きく変わった。大学時代に写真を始めてから去年までは街の風景を写すことが多かったけれど、今年はいつも一緒にいる友人たちを撮るようになった。これまで人の写真を撮ることはほとんどなかったぼくにとってそれは新鮮だった。みんな気に入ってくれるし、喜んでくれる。それがとても楽しいことなのだと知った。
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2013年。
どんなふうに過ごそうか。今年は流れに乗ることで前進した一年だった。その流れが来年も続いてくれるとは限らない。他の流れを見つけてそこに飛び込むか、自分で流れをつくっていくか。いずれにしても今年と同じような過ごし方をしようとは考えないほうがいいと思っている。それは今年がダメだったからではなくて、今年のような生き方のパターンを学んだからこそ、別のスタイルも経験していくべきだと思うから。同じ一人の人間でも、生き方は好きなように変えられる。それはとてもすばらしいこと。
これまでずっとそばにいた人がいなくなった一年間。自分の中の「定点」を失った恐怖は本当に計り知れないものだった。うまくやっていく自信がなくてとても不安だった。現時点でも、ぼくはまだ新たな定点を見つけることができずにいる。それでもこの一年間を振り返ると、結局ぼくの心は崩れることもなく、ただこれまでと少し違った形で毎日を過ごしてくることができた。この事実はとても大切な事だと感じている。きっと2013年は次の定点を求めて生きていくのだと思うけど。
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ジュウガツザクラは年に二度、花を咲かせるらしい。彼らに一年という単位概念はなかろうが、ぼくは二度の開花をカレンダーに重ねてみるのだろう。次に花咲く季節にぼくは何を想うだろう。そして来年の年の瀬、ぼくは誰を想うのだろうか。
2012.11.26 月曜日
インターネットの宇宙で流れ星を見た
2012.08.26 日曜日
飛行機がじっとしていた
今朝のJ-WAVEにゲストとして志茂田景樹が出ていて、視聴者からのいろんな相談に短くコメントを返していた。カメラの手入れをしながら流し聞きをしていたら、「自分に自信が持てない。どうしたら自信が持てますか?」という質問が投げかけられ、それに対してこんなことを言っていた。
『他人を信じなさい。他人を信じることができれば、他人を信じている自分を信じることができるから。それが自信になる。』
なんだかとても新鮮で、あたまにすっと入って、くるくるっと回って、すとんと落ちついた。あと、どうでもいいけど、「レインボーカラーの髪の毛」って紹介されたあとに「本当は五色なんですけどね」って言ってた。知らなかったけど、それはまぁどうでもいい情報だった。
大阪から東京へ向かう飛行機で、窓の外に別の飛行機を見つけた。同じ速度で同じ方向に飛んでいたからぴったり止まっているように見えた。空でじっとしている飛行機は妙に静かな雰囲気で、じっと前を見据えてる姿が印象的だった。
2012.06.27 水曜日
梅雨について、水について
毎年やってくる梅雨を、毎年いやがっていた。だけど今年はあまり気にならない。きっと、蒸し暑いどころか肌寒い日々が続いているのと、雨のせいで中止になった予定が今のところはないからだと思う。来月はキャンプと富士山登りがあるから、週末に雨が降ったらすごい顔で空をにらむだろう。
今日気づいたこと、というか確信したことがある。それは、飲料水の「い・ろ・は・す 」を飲むと吐き気を誘発するということ。これまで何度か飲んだことがあるんだけど、なぜかだいたい軽い吐き気がして、飲みきれずに捨ててる。たぶんからだに合わないのでしょう。ぼくが好きなのはクリスタルガイザー。たまにボルビック。夏になったら炭酸水もすき。セブンイレブンの炭酸水とか。
自家現像についてだらだらと調べていた。初期投資と償却期間について頭の中で会議を開いてる。現像作業に熟練しさえすれば、現像したいときに現像できるというオンデマンド感は、せっかちなぼくには何ものにも代えがたいメリットだ。やっちゃおうかな。
2012.06.24 日曜日
モノクロ写真
2012.06.03 日曜日
クライミング
2012.06.01 金曜日
6月
別に何をしていたわけじゃない。毎日仕事をして、週末は体を動かして、ただほんとうにそれだけで、何週間も過ぎていった。写真を撮らなくなったわけではなく、むしろこの一ヶ月はたくさんシャッターを押してきたように思う。これまでとちがうのは、レンズを向ける対象が、あいまいでぼんやりとした風景から、ともに時間を過ごす友人たちになっていることだろう。そういった写真をこれまでは撮ることがほとんどなかったから、その楽しさをようやく知ることができてうれしいきもちがある一方で、いままでに撮ってきたような写真とは距離ができてしまいそうなそんな気がして、すこし不安だったりもする。大味な料理ばかりを食べて暮らしていると、素朴な食材の微妙な風味に対しての感覚が鈍くなるように、自分だけが見えていた世界のようなものの見方が損なわれてしまわないように、ときどきひとりになることも必要なのだろうか。
今日から6月、関東も梅雨に入ろうとしている。道端のあじさいの葉が大きくなってきた。湿気をふくんだ風が耳元を通りすぎるようになった。今年の梅雨は長くなるかもしれない、と天気予報で聞いた。梅雨が長くなると、夏が短くなるのだろうか。それとも秋の訪れが遅くなるのだろうか。いずれにせよ四季は廻り、それに合わせて服装を変え、日々の気候に短い感想を添え、どこかでまたひとつ歳をとり、黙々と歩いていくのだ。
2012.03.25 日曜日
はじめての街
2012.03.21 水曜日
花の写真
2012.02.26 日曜日
たとえば
2012.02.19 日曜日
ぼくは南下していた
2011.12.14 水曜日
飛行船とクジラ
あなたは知っているだろうか。この町の空に、ときどき、飛行船が浮かんでいることを。音もなくゆっくりと空を進んでいく飛行船を見ると、ぼくはいつも孤独を感じてしまう。とても大きいのに、あまりにも広い空にぽつりといるせいで、どうしようもなくひとりぼっちに見えてしまう。まるで海で群れからはぐれたクジラのように。
ぼくはあんなふうに大きくないにもかかわらず、ついついひとりになることを選びがちなところがある。だけど、この複雑な世界をひとりで歩くのはとてもむずかしい。ひとりになったつもりでも、どこかで誰かのことを想っていたり、どこかで誰かが想っていてくれたりするから。それに気づいたとき、こんな景色を誰かと一緒に眺めたくなったりするのです。
2011.12.12 月曜日
週末の儀式と大いなる違和感
週末、まじめにワイシャツのアイロンがけをすれば、その一週間は朝のアイロンがけから開放される。あたりまえのことだ。あたりまえのことなのだから、毎週末さぼらずにアイロンを握ればいいのに、週末にまで仕事のことを考えたくなくてさぼってしまうこともある。そしてまた慌ただしい朝を過ごすのだ。週末の自分をうらみながら。
大学時代、東京に遊びに来たときに上野駅で朝の通勤ラッシュを見た。黒い集団が天井の低い通路を一定方向に流れていったあの光景をいまもはっきり覚えている。ぼくはいま、あの集団の中にいる(ぼくの場合は下北沢駅だけど)。通勤ラッシュにすっかり慣れてしまった自分がいる一方で、あいかわらず満員電車の中でそこにいる人たちを観察してはもやもやした気持ちになっている。
なにが言いたいのか整理できてないけど、ぼくはずっと大いなる違和感の中で毎日を過ごしている。その正体に気づかず、あるいは気づいても見て見ぬふりをしてやり過ごしている間に、違和感は固定化されて、ぼくの足はより重くなって、ワイシャツのシワなんて気にしなくなって、黒い集団に溶かされてしまうのかもしれない。