Posts tagged “BessaR3A”

2011.09.26 月曜日

淡々と重ねるもの

a man

書きたいことがたまってきた。
頭の中で整理できたら、ばばっと書きだそう。

ここ数日、朝の空気がとても冷たく感じる。
季節の変わり目は体調をくずしやすいし、眠い。
寒がり&眠たがりなのでしばらくはぼんやりしそう。

明日は月曜日だけど会社の飲み会がある。
上司と後輩(新人くん)の異動送別会。
新人くんがいなくなっちゃうのでまた幹事役だ。
お店の予約をようやく済ませたので寝よう。

0時を過ぎてもラジオからは音楽が流れている。
ラジオの収録スタジオを想像しながら聴くのが好きだ。
ぼくはいつもガラスの外からそれを眺めている。
整えられた音声が淡々と耳に入ってくる。
語る人のトーンの変化を感じながら、おやすみ。

2011.08.25 木曜日

花火

花火#01
 

今年も花火を見上げた。

 
More… »

2011.08.21 日曜日

写真の強さについて

Starbucks

夏の写真ができました。
Bessaのシャッターの具合がわるく、
結局36枚フィルムを1本しか撮りませんでした。
だけどその36枚には2011年夏のエッセンスが
きちんと写っていました。
 
関西での最終日、大阪駅からの夜行バスに乗る前に
HEPホールで開催されていたアルバムエキスポに行ってきた。
ぼくはそこでフィルム写真の物理的な強さを改めて感じた。
3月の地震・津波に巻き込まれた写真たちが
ひとつひとつ人の手によって拾いあげられ、
意志ある人たちによって洗浄され、選別され、保管され、
その中から自分たちの写真を見つけ出す。
ほんとうに気が遠くなるほどアナログな作業。
保護された写真はぼろぼろになったりしていたけど、
そこに写る人の表情はあいかわらずいきいきしていて、
そんな写真1枚の存在の強さ、価値の尊さが
地道な作業をつないでいく原動力になるんだろう。

今日8月21日が最終日です。
Link:アルバムエキスポ 2011

 

2011.07.27 水曜日

こんな夜に海を想えば

湘南

ことばが見つからない。
 

2011.07.24 日曜日

世界の密度とめがねの話

滲みメガネメガネ

ものごとを曖昧に見るか、しっかりと見るか。
あるいはぼんやりとしか見えないか、はっきり見えるか。
 

恵比寿ガーデンプレイス

昨日、高いところから東京の街を眺めた。
ぼくはめがねはかけていなかった。
遠くにレインボーブリッジが見えた。

めがねをかけると、
レインボーブリッジに出入りする車が見えた。
顕微鏡のなかの微生物のようだった。
世界の密度を感じた瞬間だった。
 
 

2011.07.19 火曜日

確かで、不確かな瞬間

皆、背を向けて

撮影データの残らないフィルム写真では、
じぶんで撮影日を覚えておかなかった場合、
こんなふうになんの手がかりもない風景は
確かにあった不確かな瞬間となってしまう。
ぼくはそれでもいいと思っている。

2011.07.03 日曜日

質感をつたえる

にゅーちゃわん

質感というものは説明がむずかしい。

こういう白に、こういうしわが描かれて、
こういう形のものが、こういう柄で包まれて、
こういう光のなかで、こういう影を落とす。

とても静かなこういう写真が撮れたら、
それがひとつの整ったかたちなんだと思う。
自分の見ている世界の質感を表したかたち。

2011.06.20 月曜日

ねむる前

ベッドサイド

本を積み
時間を止めて
風をまとい
布団に包まれて
ベッドに沈む

おやすみなさい

2011.05.27 金曜日

週末の気分で写真についてぼそぼそと

蒼風

ぼくはこういうものを見てうつくしいと感じたりすてきだなあと感じたり、つまり心が惹かれるのです、ということを端的に表現できるのが写真のいいところのひとつなのだと思います。そしてそういう瞬間を共感してくれる人がすきだし、そういう瞬間を共有できるようになるべくそばにいてほしいのです。

写真はとてもむずかしい。写真に意味を与える、写真で何かを伝えることなんてぼくにはできないと思う。だからぼくは人生の中でときどき出会えるうつくしい瞬間をただひたすら集めているだけで、そんなぼくがすきな瞬間をすきだと感じてくれる人に会えればいいなあなんて淡い期待を抱きながらBlogを続けたりしているのです。

2011.05.22 日曜日

写真って静かだなと思った

渋谷爺

井の頭線改札からつながる渋谷マークシティ連絡通路。
ここでスクランブル交差点を眺める人を見るのがすきです。

2011.05.12 木曜日

いつものランドリー

æ´ç±

薄ぼけた影がいい。

2011.05.08 日曜日

4つの景色

in the wind

目で見た景色。
ファインダーを通した景色。
写真となった景色。
記憶の中の景色。

どれも風が吹いている。

2011.05.06 金曜日

曲がり角に立って

新宿の角

東京から離れている間はいつも誰かと一緒にいて、東京に戻ってからはまたいつもひとりになった。大学入学からはじめたひとり暮らしもいつの間にか7年目になっていて、それだけの時間をひとりで過ごしてきたことにちょっとした喪失感を覚えた。
最近、新宿の街が少し分かるようになってきた。ぼくはまたひとりでこの街を歩く。

2011.04.05 火曜日

足元の暗号

道路#1

自分には意味が分からないことはたくさんある。
そしてその多くは分からなくても平気なことでもある。

道路#2

今日は風邪をひいたのでおやすみ。

2011.04.04 月曜日

昨日について

IMG_0007

今朝起きて、シャワーを浴びながら、
昨日のことが数年前の冬の出来事のように感じた。
寝ぼけているせいか、昨日がとても寒かったせいか、
それとも本当に数年前の出来事について夢を見ていたのか、
いずれにせよ、どこか現実味を欠いた心地で思い出していた。

昨日はお酒を飲まなかったし、早くベッドに閉じこもった。
なのに今朝は頭が重く、背中がだるくて、吐き気がしている。

新しい朝がきた。希望の朝だろうか。
枕元の小説にはしおりを挟み忘れていた。

2011.03.21 月曜日

透明を重ねたような

rainy

水のにおいがした。もうほとんど意識があいまいで、からだがすべて夢の中に入ってしまおうとしているそんなとき、ベッドの上で水のにおいを感じた。水のにおいは眠気のすきまからぼくの記憶に働きかける。常温水の味がする。軟水だ。やわらかく喉を通りすぎていく。ひとときのうるおいが気持ちを落ち着かせ、やすらかな眠りがまた一歩近づくのを感じた。

水の味。それを説明しようとしても、水の味としか言いようがないことについて、ぼくは幼い頃ひどく悩んでいた。あまい、からい、にがい、すっぱい。そのどれにも当てはまらないけれど、味がしないというわけでもなくて、水の味がする。それ以上の表現を見つけることができなくてずっともやもやと悩んでいたのを覚えている。そして現在でも、ぼくはその味をうまく言語化することができずにいる。何も成長してないみたいだ。

大阪で降った雨を追いかけて東京に戻ってきた。小雨の街はいつもより明かりが少なく、最寄り駅ではまたエスカレーターが止められていた。濡れたアスファルトに跳ねる光は滲んでいた。月はどこにも見えなかった。

2011.03.18 金曜日

すこし気をゆるめ

a headphone

これから夜行バスで大阪に向かいます。
一部で行われているらしい「東からの脱出」ではなく、
予定通り三連休を関西で過ごすため、いってきます。

2011.03.14 月曜日

japanese

Kita city, Tokyo

この数日で、あなたがひとりでいるときに、
静かに、こころから想ったこと、感じたこと。
それはとても大切なことだと思います。

“東日本を襲った大震災も日本史の節目になろう。
できることなら日本が良くなる方向への転機にしたい。
それは今生きている日本人の意志にかかっている。”
    ― 2011年3月14日(月)付 日本経済新聞

ぼくらには、明日がやってきます。

2011.03.07 月曜日

Tokyo

IMG_0014

IMG_0017

2011.03.06 日曜日

IMG_0002

堅そうな木から、瑞々しい葉が出て、
ついに柔らかくてうつくしい花が咲く。
そんなすがたに惹かれないはずがない。