2013.12.29 日曜日
東京の冬にも慣れて
2013.09.01 日曜日
ピンク色のネコを見つけたら
雨が降ると季節が変わる、と誰かが言った。降り注ぐ雨粒に追いやられた夏の気配はあちこちに逃げてしまったけれど、今はまだそう遠くないところで息を潜めている。土の中や木々の周り、側溝の蓋の下とか。でもやっぱり夜の空には秋の気配が薄く広がっている。もうすぐ秋が来る。
去年ほどではないかもしれないけれど、最近は仕事がたくさんある。すべきことがたくさんで、仕事時間を延ばしてみるけれど、仕事をすればするほど仕事は舞い込んでくるので、毎日「今日はここまでしか無理だ」とあきらめて帰路に着く。毎日一生懸命働いているのに、いつもその日の最後にはあきらめることで業務が終わる。ああなんて救いがないのだろうと、月を眺めながら帰るのだ。
家に帰るとだいたい深夜1時前で、何かを胃に入れる気にもなれなくて、すこしお酒を飲めば気分もよくなるだろうと思ってビールを飲むこともあるけれど、気がつけば翌朝、ほとんど中身が減っていない缶ビールと、点けっ放しの照明と、充電されていないiPhoneが部屋に揃っている。またか、と思うけれど、仕方ないのだとも思う。
もちろんまた一週間は始まる。立ち止まろうと思えば立ち止まれるけれど歩き続けるのは、自分の仕事、自分の役割に価値を感じているからで、だからこそ毎日頑張れるのだけれど、もうちょっとうまく歩いていかないとただ歩いているだけになってしまって、景色とか季節とか人の感情とか、そういう大切なことを見ることも感じることもできなくなってしまいそうだから、明日からは歩き方を変えようと思う。どんな風に変えるか?それはまだ分かんないけど。
2013.08.18 日曜日
わるいくせ
今日で夏休みはおしまい。九日間の休みだったけれど、実家に三日間帰っただけで旅行には行かず、あとは東京でのんびり過ごした。この夏、花火をニ回観ることができた。一回目は東京湾花火大会。大混雑の地上とは対照的に、立派な花火がのびのびと濃紺の空に打ち上がる様子はすばらしかった。二回目は昨夜、神宮外苑花火。夜19時30分頃に下北沢へ歩いている途中、いまは使われていない小田急線の地上線路を渡るための陸橋から、遠く東の方に花火が見えるのに気付いた。すぐそばには東京スカイツリーのライトがゆっくり点滅しているのが見えた。
とても幸せだった日のことをときどき思い出す。金曜日に休みをとって湘南へ行き、少し肌寒い海岸で昼寝をして、江ノ島を歩きまわって夕陽を眺めて、帰りには下北沢で遅くまでお酒を飲み、終電を逃してタクシーで家に帰り、家でまたお酒を飲み、気づいたら眠っていて、昼前にゆっくりと起きて、街の写真屋さんでフィルムを現像に出して、ラーメンを食べに行って、羽根木公園を散歩して、途中でベンチに座って通りすぎていく人たちを眺めて、街に戻って現像されたフィルムを受け取って、人気のパンケーキ屋さんでおいしいパンケーキを食べて、その後どうしたっけな、忘れたけど、たぶん途中からずっと、今度はいつ会えるだろうってずっと考えてたと思う。
そんな日のことを思い出すと、なんでもない普段の生活や休日の出来事がすこし曇って見えてしまっている気がする。もちろんすべての日々が最高に幸せであることなんてないのだけれど、楽しかったはずの日が、そんなに楽しかったと思えない自分に気付いてしまうと、その背景には幸せ過ぎたあの日が強烈に輝いていて、その残像が花火の煙のように漂って日々の景色をあいまいにしているのかもしれない。こういう感受の仕方って、わるいくせだと、自分でも思う。
2013.08.01 木曜日
7月に浮かんだ遠い街
7月はたくさん夢をみた。
どんな夢かは憶えていない。
今年はすこしだけ早く梅雨が終わった。
たぶん、その分だけ早く夏が訪れたのだと思う。
そんな夏だから、同じだけ早く夏が早く終わってしまわないかすこし不安に感じている。
海にはもう、たくさんのヨットが浮かんでいた。
遠い沖に点在するその帆は地平線の彼方に見える街のように見えた。
人々のはしゃぐ声や、犬の吠え声、波の音、風の音。
たくさんの音が聞こえていたはずなのに、浜辺はとても静かだった。
最近、夢だろうが現実だろうが、どちらでもいいような毎日を過ごしている気がする。
たとえば今日の出来事がすべて夢だったとしても、それを嘆きはしないだろう。
実感、というものが欲しいのだと思う。それが何なのかどうにも分からないけれど。
2013.05.12 日曜日
Taipei Trip with Newton’s rings
I suddenly decided that I would like to go to Taipei.
I woke up early in order to ride the first train and went to Haneda AP.
There are a few people at the boarding gate.
The colors of the sunrise.
窓の外は別世界で、しかしたしかにそこにある。
改札の、あるいは境界の、こちら側とむこう側。
台湾のアパートは重厚感があり、緑があり、光があった。
日本とは似て非なる街並みに、生々しい非現実さを感じた。
食事はオーケー、だいたいなんでも食べられる。
滞在したホテル。可もなく不可もなく。
人々の生活。食べ、賭け、祈り、歩く。
ホテルの窓から外を眺めるのが好きだ。この街に住んでいる気分。
台北の街が好きになった。
また来よう。また行こう。
2013.04.14 日曜日
単焦点な毎日を、不確定な距離を抱えながら
親しい人が遠くへ行く。ある人は物理的に、ある人は心理的に。物理的に離れてしまっても、お互いを想う気持ちがあれば心理的な距離は変わらないし、より近くなることだってあるかもしれない。心理的に離れてしまったら、物理的な距離は同じでも、どうしたって声が届かない空白が二人の間に横たわり、大きな喪失感がのしかかる。
単焦点レンズはズームレンズと違って自分が動きまわって構図を探す必要があるから構図をつくる力が身につきやすい、みたいな話を写真を始めた頃に聞いたので、それ以来ひたすら単焦点レンズだけで撮ってきた。構図をつくる力うんぬんは別にして、こういう写真を見返したときに、自分がこの美しい花の咲きっぷりと木の立ち姿に惹かれて近くまで歩いて行ったんだということが分かったりするように、過去の自分の感情を生々しく読むことができるのは単焦点レンズの素晴らしいところだと思う。
距離はいつだってぼくらの間に存在している。伸びたり縮んだりしながら、いろんな性質を持ちながら。だけど結局のところ、何かをもっとよく見たければ、あるいは少しでも触れたければ、その方向へと歩いていくしかない。そうすればいいだけだ。
2013.04.09 火曜日
milk-white
2013.03.24 日曜日
Sakura, sakura.
今年もさくらが咲いた。昨年の10月まで暮らしていた街に戻り、お気に入りの川沿いでお花見。あいかわらずののんびりとした雰囲気が、この街で生活していた感覚を思い出させてくれた。 こじんまりとした幾つかの集団が川沿いに腰をおろして、土曜日の昼下がりと春のおとずれを満喫していた。少しむさくるしい感じのおじさんたちが鳴らしていたギターが小気味よく空に溶けていった。
何を考えていただろう。写真を撮りながら。たいしたことではなかったと思う。だけど生きているうち、本気で思い悩んで何かを決めるシーンってほとんど限られていて、多くの時間は何気ないことを考えて過ごしていて、でもそれが人生や自分自身をつくっているんだと思う。きっとぼくの写真もそんな感じで、何かを残そうとか表現しようとか、シャッターをきる瞬間はそういうことは考えていないはずだ。だけどその風景は写真に残っていて、ぼくはぼくの感覚を表現している。
2013.03.20 水曜日
水曜日のシンコペーション
水曜日の休みは素晴らしい。通常の5日勤務2日休みの場合、「月火水木金土日」は「トントントントントンタンタン」というリズムであり、「トン」の5連拍によって非常に間延びした雰囲気になる。それゆえどうしても平日最後の「トントン」はもたついた感じになる。これが今週のように水曜日に休日が入ることで、雰囲気がガラっと変わる。「月火水木金土日」のリズムが「トントンタートントンタンタン」に変化することで、一転してリズミカルに過ごすことができる。ここでの水曜日は単純な1拍の「タン」ではなく、週末の「タンタン」に繋がる余韻を残すことで間に挟まれた「トントン」をスムーズに展開させてくれる。だからぼくは水曜日の休みが好きだ。トントンタートントンタンタン。