2011.05.22 日曜日
本の整理
むかし読んだ本のなかで付箋つけてた文章メモ。
物事の判断にあたっては、つねにその本質にさかのぼること、そして人間としての基本的なモラル、良心にもとづいて何が正しいのかを基準として判断をすること p.21
問題は、本来限定的にしかあてはまらない「常識」を、まるでつねに成立するものと勘違いして鵜呑みにしてしまうことである p.29
今日はひさしぶりに本の整理をする。
この文章さえあればいいや、っていうのは処分。
どうしても捨てられない本だけ残しておく。
むかし読んだ本のなかで付箋つけてた文章メモ。
物事の判断にあたっては、つねにその本質にさかのぼること、そして人間としての基本的なモラル、良心にもとづいて何が正しいのかを基準として判断をすること p.21
問題は、本来限定的にしかあてはまらない「常識」を、まるでつねに成立するものと勘違いして鵜呑みにしてしまうことである p.29
今日はひさしぶりに本の整理をする。
この文章さえあればいいや、っていうのは処分。
どうしても捨てられない本だけ残しておく。
濡れた道路を蹴るタイヤの音で目覚めた朝、ベッドの上でじっと横向けに寝転がり、左耳を枕につけ、からだの中に響く心臓の音を聴いていた。「心臓は一回の鼓動で二回リズムを刻む」。そんな話を思い出して、収縮と拡張をひたすら繰り返す心臓の動きを想像していた。
昔から誰かの背中に耳をつけて心音を聴くのが好きだった。目には見えないけれどこの人の中では心臓というものが動いていて、この鼓動がこの人を動かしているのだという「人間の生きる仕組み」の基本的なところを実感できた。目を閉じて、暗闇で確かに鳴る心臓を感じていた。
生まれてから死ぬまでの心電図を記録し続けたらおもしろいだろうな、と最近考えていた。人生が何年で完結するか分からないけれど、いよいよ死ぬというその日に一生分の心電図が一冊の本になって届けられる。それを然るべき人と本を開き(或いはやはり一人かもしれないけれど)、24歳のこの日はとても鼓動が激しいけれど何があったのだろう、とか思い出したりしているうちに、静かに心臓は音を鳴らすのをやめ、ようやく本が完成する。
心臓という具体的な機能と、こころという抽象的な機能。ふたつはいつもリンクして、影響しあっている。どちらも自分の意識のコントロールとは少し別のところにあるように思う。冷静であろうする頭の考えとは独立してぼくの心臓は高鳴り、こころの温度は上昇するのだ。
夜中に電話が鳴った。たしか1時30分くらいだった。電気はつけっぱなしだった。
電話の相手は大阪で働く幼なじみだった。たまにメールか電話のやりとりをするくらいだけれど、昔から付き合いが続いている数少ない友だちのひとりで、家族以外では唯一ぼくのことを「あんた」呼ばわりする女性でもある。
「ごめん、寝てた?」といつもどおりのあっけらかんとした声が聞こえた。寝てた、とあやふやな意識で返事をした。こんな時間に電話をかけてくる合理的な理由があるのだろうかと考えたが、お互い電話したい時に電話ができる間柄なんだからまぁいいか、と目をつむった。地震は大丈夫だったかだとか、彼女とは続いているのかだとか、うちは彼氏とまだなんとか続いているだとか、そんな内容をうん、うん、へえ、と聞いていた。
「なぁなぁ聞いて聞いて」といういつものフレーズのあと、「来月、やっとスタイリストになれるねん」と報告された。この友人は美容室で働いていて、そういえば今年にもスタイリストデビューするとか去年の年末に言っていた気がする。「おめでとう、長かったな」と、高校卒業後に専門学校へ進学、そして自分より一足早く社会へと出て行った経緯を思い出した。ほんま長かったわぁ、と夜中とは思えないテンションではしゃいでる声が昔と変わらなかった。
ベッドでごろごろしながら、カーテンで手遊びをしながら、どうでもいいような会話を重ねる深夜。小学生の頃、中学生の頃、比べてみてもなにも変わらない。こんな歳になってもつながっていく関係を築けるなんて思ってもいなかった。ふいに「あんたはいつまで東京おるの?」と訊かれた。いつまでとは決めてない、今はまだ東京にいたい、でも一生暮らすことはないと思う、と伝えた。そーなんや、大阪帰ってきいや、と適当な返事をされ、大阪はええわ、と投げ返しておいた。
「もう眠いから寝る。今度東京おいで。」
「東京はええわ、もんじゃやろ。おやすみ。」
「もんじゃだけちゃうやろ、東京は。おやすみ。」
電話をおいて、電気を消して、布団を深くかぶった。目覚まし時計の秒針がチッチッチッと空気をひっかいた。深夜2時過ぎ、窓を隔てた世界は静かなはずなのにどこかざわざわしているように感じた。これが世界の息づかいなのだろうかと耳をすましているうちに、意識のドアが重みで閉じていった。
今朝のラジオの天気予報では「お花見日和」だといっていた。ぼくの部屋から見える東京は曇っていて、すこし肌寒かった。どんな天気をお花見日和というのだろうか、と想像した。毎年さくらの季節はまだすこし気温が低かったかもしれないな、と昔を振り返って納得し、今日はどこかでお花見をしようと思った。午後になるにつれて空は晴れ、春の光が降ってきた。
駅前のスーパーでビールを2本買い、書店に寄って文庫本を1冊買い、近所の川まで歩いていった。ぼくの住む街に流れるそのささやかな川の両岸にはわりと立派なさくらの木が生えている。川沿いの歩道から柵を越えて水上に身を乗り出すように、隆々とした黒い幹がぐぐっと伸びていて、その先端には白ともピンクともつかない曖昧な色をした花びらが風に震えていた。
歩道から橋に移り川下の方角を眺めると、歩道から一段低くなっている川辺にはブルーシートに腰をおろす人々が見えた。家族だったり、カップルだったり、何かの集まりだったりした。緩やかで短い土手をおりて、短い草の生える斜面に腰を下ろした。風が気持ちよかった。さっき真下をくぐったさくらの木が川のむこうに広がる。そしてさっきのぼくのようにふと足を止めて木を見上げる人がいた。ビールをあけ、お花見がはじまった。
空は晴れきった感じではなく、うすく広がった雲がクリーミーな青色をつくっていた。その下を乳白色の雲がときどき流れた。橋の色もパステル調でやさしい色をしていた。パステルグリーン。
聞こえる音はまわりの賑わいと、そのなかの誰かが連れてきた小型犬が何かに反応したときの鳴き声、橋を通過する小田急や高い空を横切っていく飛行機の音。どの音もすぐに溶けて消えていった。自然の中にいると音がこもらないですっと消えていく。
寝転がって飛行機を目で追った。ちらちらと光が反射してまぶしかった。あんなに遠くの光がここまで届くんだな、でも星はもっと遠くにあるんだな、とかどうでもいいことを考えたりしていた。周りにはひとりでお花見をしている人はいなかった。みんな誰かとさくらを見ていた。ひとりのように見えたおじいさんも犬を連れていた。ぼくはひとりだった。なんでひとりなんだろうか、と考えた。自分でそういうあり方を選んでしまっているんだろうな、と思った。本当はぎゃあぎゃあとやりたいのかもしれないけれど、それができない環境をコツコツとつくってきたのだと気付いて可笑しくなった。ぼくはいつまでもこうして生きていくのだろう。
川のそばでじっとしていると時間の存在を忘れてしまう。そのかわりに時間のようなものが目の前を通りすぎていく。左から右に流れていく川は一定の速度、一定の量を維持したまま、その水面にさくらを映し、ときどき花びらを連れ去っていく。左に掛かる橋のうえを人々が通り、立ち止まる。右に掛かる橋では小田急線が時間通りに人を運んでいく。その真ん中あたりでぼくはじっと川をながめていた。
帰り道、駅前の大きな木の前で立ち止まった。冬の間はくっきりとした幹と枝の輪郭が印象的だったけれど、枝先のほうがうすく緑色に霞んで見えた。花を咲かせることはないけれど、きっともうすぐ瑞々しく光る葉っぱで満たされるのだろう。
大きな風が吹き、細やかな春がかさかさと鳴った。
4月2日、新宿ピカデリーにて。
監督のSofia Coppolaは名前を聞いたことがある程度で、
どんな雰囲気の作品なのか特に想像もせずに劇場へ。
ジョニーの運転する黒のフェラーリがかっこいい(そして似合ってる)。
娘のクレオが時折見せる(表現は難しいけど)女性的な視線が印象的だった。
映画を観た直後は、作品の持つどこか気だるい感じに引っぱられて
ぼんやりとした感覚でしかイメージを捉えられなかったけれど、
少し間を置いた今となっては、とても好きな映画だと言えそう。
もう一度DVDで観たいな。
大阪・アメリカ村のBIG STEPにあるシネマート心斎橋にて、
楽しかった台北旅行を思い出しながら鑑賞した。
普通のラブストーリーかと思ったら結構コメディ寄りで、
時間があるときに気軽に観られる映画、という感じでした。
『台北の朝、僕は恋をする』
水のにおいがした。もうほとんど意識があいまいで、からだがすべて夢の中に入ってしまおうとしているそんなとき、ベッドの上で水のにおいを感じた。水のにおいは眠気のすきまからぼくの記憶に働きかける。常温水の味がする。軟水だ。やわらかく喉を通りすぎていく。ひとときのうるおいが気持ちを落ち着かせ、やすらかな眠りがまた一歩近づくのを感じた。
水の味。それを説明しようとしても、水の味としか言いようがないことについて、ぼくは幼い頃ひどく悩んでいた。あまい、からい、にがい、すっぱい。そのどれにも当てはまらないけれど、味がしないというわけでもなくて、水の味がする。それ以上の表現を見つけることができなくてずっともやもやと悩んでいたのを覚えている。そして現在でも、ぼくはその味をうまく言語化することができずにいる。何も成長してないみたいだ。
大阪で降った雨を追いかけて東京に戻ってきた。小雨の街はいつもより明かりが少なく、最寄り駅ではまたエスカレーターが止められていた。濡れたアスファルトに跳ねる光は滲んでいた。月はどこにも見えなかった。
こんな状況では、
あらゆる場所にいる、すべての人が、
すべきことをして、考えるべきことを考え、
願うべきことを願うことしかできないのでしょう。
自戒も込めて書き記します。
Webの普及と発達で、一人ひとりの情報発信力は飛躍的に高まりました。
しかし、そのポストが、RTが、どれだけの効果・影響をもつのか。
伝えるべき人に伝わるのか、単なるノイズになりはしないか。
そういうことに配慮しなければいけないと思います。
被災現地から距離のある、比較的安全なエリアにいる我々は、
その各々が、メールアドレスで、電話番号で繋いでいけば、
必要な人に、必要な情報が行き届くのではないでしょうか。
出来るかぎり、ノイズを減らしましょう。
伝えるべきことを、伝えるべき人に、きちんと伝えましょう。
自らの行動を慎重にコントロールしましょう。
ボーカルで始まる曲をイヤホンで聴く。
すると最初の息を吸う音が聴こえる。あれがすきだ。
息を吸い、肺を満たす。
声帯を震わせながら歌声へと変えていく。
シンプルな工程の中にはじつに繊細で絶妙な技術があり、
それらはすべて感覚によってなされている。
歌声は空気を伝わりぼくの耳に届き、鼓膜を震わせる。
音を着たことばによって、記憶の中の何かが共鳴し、
それが言い知れぬ感動となって目頭が熱を帯びるのだ。
ブログをはじめて4年目になる。
冴えない大学生男子の生活日記だったはずが、
冴えない社会人男性の空想書庫となっている。
あいかわらず自分の見た景色を淡々と並べながら
いつかの自分に向けてしるしを遺している。
たまに昔の記事を読むことがある。
いつも思いつくままに書いているだけだから、
書いた内容なんてあんまり覚えてなくて
こんなこと書いてたんだ、とか不思議に感じる。
数年前のことなのにとても遠くて、わりと重い。
昨夜、「じいさんのうた」というのを読んだ。
2007年10月21日、日曜日、大学3回生。
この文章を書いたとき、
誰のことを想っていたかなんて覚えていないけど、
誰のことを想っていたのかはなんとなく分かる気がする。