2011.04.11 月曜日

パステルの空でさくらの時を

houses

今朝のラジオの天気予報では「お花見日和」だといっていた。ぼくの部屋から見える東京は曇っていて、すこし肌寒かった。どんな天気をお花見日和というのだろうか、と想像した。毎年さくらの季節はまだすこし気温が低かったかもしれないな、と昔を振り返って納得し、今日はどこかでお花見をしようと思った。午後になるにつれて空は晴れ、春の光が降ってきた。

駅前のスーパーでビールを2本買い、書店に寄って文庫本を1冊買い、近所の川まで歩いていった。ぼくの住む街に流れるそのささやかな川の両岸にはわりと立派なさくらの木が生えている。川沿いの歩道から柵を越えて水上に身を乗り出すように、隆々とした黒い幹がぐぐっと伸びていて、その先端には白ともピンクともつかない曖昧な色をした花びらが風に震えていた。

歩道から橋に移り川下の方角を眺めると、歩道から一段低くなっている川辺にはブルーシートに腰をおろす人々が見えた。家族だったり、カップルだったり、何かの集まりだったりした。緩やかで短い土手をおりて、短い草の生える斜面に腰を下ろした。風が気持ちよかった。さっき真下をくぐったさくらの木が川のむこうに広がる。そしてさっきのぼくのようにふと足を止めて木を見上げる人がいた。ビールをあけ、お花見がはじまった。

空は晴れきった感じではなく、うすく広がった雲がクリーミーな青色をつくっていた。その下を乳白色の雲がときどき流れた。橋の色もパステル調でやさしい色をしていた。パステルグリーン。

聞こえる音はまわりの賑わいと、そのなかの誰かが連れてきた小型犬が何かに反応したときの鳴き声、橋を通過する小田急や高い空を横切っていく飛行機の音。どの音もすぐに溶けて消えていった。自然の中にいると音がこもらないですっと消えていく。

寝転がって飛行機を目で追った。ちらちらと光が反射してまぶしかった。あんなに遠くの光がここまで届くんだな、でも星はもっと遠くにあるんだな、とかどうでもいいことを考えたりしていた。周りにはひとりでお花見をしている人はいなかった。みんな誰かとさくらを見ていた。ひとりのように見えたおじいさんも犬を連れていた。ぼくはひとりだった。なんでひとりなんだろうか、と考えた。自分でそういうあり方を選んでしまっているんだろうな、と思った。本当はぎゃあぎゃあとやりたいのかもしれないけれど、それができない環境をコツコツとつくってきたのだと気付いて可笑しくなった。ぼくはいつまでもこうして生きていくのだろう。

川のそばでじっとしていると時間の存在を忘れてしまう。そのかわりに時間のようなものが目の前を通りすぎていく。左から右に流れていく川は一定の速度、一定の量を維持したまま、その水面にさくらを映し、ときどき花びらを連れ去っていく。左に掛かる橋のうえを人々が通り、立ち止まる。右に掛かる橋では小田急線が時間通りに人を運んでいく。その真ん中あたりでぼくはじっと川をながめていた。

帰り道、駅前の大きな木の前で立ち止まった。冬の間はくっきりとした幹と枝の輪郭が印象的だったけれど、枝先のほうがうすく緑色に霞んで見えた。花を咲かせることはないけれど、きっともうすぐ瑞々しく光る葉っぱで満たされるのだろう。

大きな風が吹き、細やかな春がかさかさと鳴った。

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