2011.02.19 土曜日

並行する意識

今日は土曜日。いつになく平穏だった。

朝、壁際に置いていたデスクを窓際へ移動させて、休日の朝の光を浴びられるようにした。それから不要なものをあれこれ処分したり、掃除とか洗濯とかいつもの家事を済ませた。

昼過ぎになって散歩に出かけた。曇りっぽい天気だったけど、陽射しはきちんと落ちていて暖かかった。休日の街には穏やかな表情をした人たちがたくさんいた。

ぶらぶらと川沿いを歩き、橋を通過する小田急線の音を耳にしながら公園へ入った。少し高くなった場所にあるその公園は想像していたよりも広くて、子どもたちがあちらこちらでボール遊びをしていた。親子でキャッチボールをしている光景をこの街で見たのは初めてかもしれない。ほかにはお年寄りが日の当たるベンチでほのぼのしていたり、中学生くらいの女の子が二人で何かを語り合っていたり、すごく高い空を飛行機が飛んでいったりしていた。

その後、近所の本屋さんで雑誌を物色した。グルメ、ファッション、生活、写真、文芸、スポーツなどなど。雑誌ってこんなに高かったけなぁと思った。800円とか900円とか。
でも内容はおもしろい。雑誌は好きだ。どれを買うべきか、しばし真剣に悩んでいた。

結局、雑誌ではなくてエッセー集のようなものを買って、駅前のお店でコーヒーを飲みながらぱらぱらと読んでいた。斜め前に座っていたおじいさんは古そうな本を5冊くらいテーブルに積んでいて、その隣には研究社の新和英中辞典が置いてあった。ぼくがずっと愛用しているのと同じものだった。

本を読んでいるとき、あるひとつの文章あるいは単語をきっかけに、意識がすうっと二手に分かれ、そのまましばらく並行してしまうことがある。それはいったいどういうことなのかをきちんと説明するのはむずかしい。等しい方向性をもちながら異質な思考が共存している感じ。

ぼくの目は間違いなく文章を追い、その意味を捉え、なにかを感じている。しかし一方で、もうひとつの意識軸のようなものは、それが生じるきっかけとなった部分を自分の中に溶かし込みながら現実的な空想を描きはじめていたりするのだ。

無意識のうちにそんなことになっているのでふとそのことに気付いたときには何が原因かよくわからず、何を空想していたかは曖昧になってしまっているうえに、読んでいたはずの本についても上滑りしたような読後感に包まれている。そんなときは「あぁまたか」と反省しながら数ページ遡って読み返すのだった。

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