2009.05.31 日曜日
甘えた考え
今日も一日が終わる。あっさりしたものだった。
結局今日も死ぬことなく、眠りにつくことができる。
きっと明日も死ぬことなく、眠りにつくことができるのだろう。
そう思いながら眠り、そして死んでいった人はどれだけいるのだろう。
そこに山があるから登るのだ、と誰かが言った。
ぼくは、そこに明日があるから生きるのだろうか。
今日も一日が終わる。あっさりしたものだった。
結局今日も死ぬことなく、眠りにつくことができる。
きっと明日も死ぬことなく、眠りにつくことができるのだろう。
そう思いながら眠り、そして死んでいった人はどれだけいるのだろう。
そこに山があるから登るのだ、と誰かが言った。
ぼくは、そこに明日があるから生きるのだろうか。
今日は風の強い一日だった。窓を開ければ、たっぷりの湿り気を含んだ空気が部屋へと押し寄せてくる。カーテンはあわてふためくように大きく舞い、それに合わせて光がちらちらと床に跳ねる。空では雲が細かくちぎれて引き伸ばされて、かすれた毛筆のようになって漂っている。その雲が風に流されて太陽にかかると、世界にくっきりと落ちていたかげが淡く溶ける。すうっと日なたと日かげが歩み寄って一つになる。
お気に入りのジーンズの裾にくるくると捲り、お気に入りの靴を履いて、風で重いドアを開ける。青空に浮かぶ雲から、薄らと雨が降っている。光を受けて、細かな雨粒がふんわりと輝く。そんな光景に目を奪われながら階段を降りる。
駅へ向かう道、強めの追い風が細かな雨と混ざりながらぼくの背中を包む。柔らかく、ひんやりと、しっとりと。ふと、道端に止まっている車のリアガラスに目がいった。そこには穏やかな青空と薄く明るい雲が映りこんでいた。それを見た瞬間、なぜだろう、すごく久しぶりに涙が出そうになった。ヘッドフォンから届く音楽がまた、どうにもたまらなかった。
学生の頃、街の人々が駅に向かう時間に街に出たくなることがたまにあって、21時くらいに地下鉄に乗っていき、終電で帰ってくるなんてことをしていた。別に何をするわけでもなく、ただ人気の薄れていく繁華街に身をおいて、目の前を通り過ぎていく人々と時間を眺めていた。
騒がしい夜の街は、一人でひた歩く人間にとっては、実に静かなものだ。自分に向かって発せられる音など皆無で、すべての音がからだをすり抜けて、自分以外の誰かに吸い込まれていく。鼓膜は震えているのかもしれないけれど、その震えは何の感情も生み出さない。まったくもって静かな世界なのだ。その静けさが大好きだった。
東京に来て、初めて同じことをした。土曜日の夜、まるで永久機関のように人を捌き続けるスクランブル交差点を眺め、また歩き、途中で立ち止まったり。人の声、足音、音楽、車のエンジン音、電車の音。すべてがからだをすり抜けていった。ただ、光だけがひどく煩かった。
やりたいことをやる。
行きたいところに行く。
見たいものを見る。
食べたいものを食べる。
話をしたい人と話す。
これらは至極易しいことであってほしい。
これらの欲を臆せず晒し、怯まず遂げていきたい。
本心を語る人の目は強い。
やりたいことをやるのだ、という原始的な光が灯っている。
心を動かされる瞬間、というものがある。
しかしその瞬間に身を置いている時点では、多くの場合、
心がかき乱されているような感覚をおぼえたり、
あるいは心の中身をそっくり入れ替えられるような感覚をおぼえるだけだ。
果たして自分の心が、何によって、どうして、どのように動いているのか。
それをはっきりと意識することはあまりできない。
あやふやな状態で、しかし確実に心を動かされていることを感じるだけで、
実際に自分の心の中で何が起きたのかを知るのは、少し後のことだ。
だけど、たまに、心を動かされているまさにその同じ時に、
自分の心が何に反応し、何を求め、どう変化しようとしているのかを
ありありと感じ、意識できることがある。
そして、それが意識できてしまうとき、妙に苦しくなったりする。
パンをちぎる手が止まり、ワイングラス越しのろうそくが明るさを増した。
耳はその声に吸い付くように雑音を排除して、
目はその目に釘付けになり、いっそう心を奪われた。
なにがなんだか分からぬまま生まれてから22年と少し。
いまだになにがなんだか分からないことだらけな人生です。
20歳になったら、大人になったら、働き始めたら、
その頃にはだいたいなんでも分かっていると思っていた。
だけど実際は、知ってることは多いんだけれど、
本当に分かっていることなんてとても少なくて、
自分のことだってよく分かんなかったりする。
そのくせ、他人のことを分かろうとしてみたり。
でもまぁ、分かんないことが嫌だとは思わない。
分かんないことは分かるようになればいいし、
分かることができないことはそういうもんだと諦めればいい。
できることとできないこと、それくらいはなんとか分かる。
さて、ぼくはぼくのことを分かってもらっているのだろうか。
分かってくれなくてもいいや、と思って生きてきた。
でも、分かってくれる人がいると嬉しいものです。
分かってほしい人に分かってもらえないとき、
そういうもんだ、とちゃんと諦められるんだろうか。
きっと諦めてしまうんだろうな。分かんないけど。
水が好きでよく飲みます。
今日はその愛すべき水が空からたくさん落ちてくるので
さぞ心踊る火曜日になるだろうと思っていたのですが
昨日より少し冷たい風が吹き込むこの部屋で
昨日より少し伸びた髪の毛を気にしているだけの
なんでもない普通の火曜日を満喫しています。
天気のせいで受信感度がよくないラジオを流しながら。
いつものようにコーヒーを淹れようとした。しかし、フィルターに粉を落としたとき、浄水ポットが空っぽであることに気付いた。これはよくあることで、落ち着いてポットに水道水を注ぎ入れ、ゆるゆるとろ過されて行く様子を眺めていた。水が少しずつ溜まっていった。とても静かにゆっくりと。
その静かさにふと思い立ち、机の小物入れから耳栓を取り出した。今日、これから寝るまでは静かに暮らそう。そんな思いつき。
ほとんどの音をさえぎられた世界はあまりに不自然だ。何かに触れたときの音がより生々しく聞こえる。普段は聞こえないノイズのようなものが常に頭を取り巻いている。窓の外からの音はほとんど聞こえない。この部屋だけが宇宙に浮いているみたいだ。
目に映るものとの距離が少し遠くなっている気がする。付箋に描いた落書きも、壁に貼られた押し花も、今日は一度も鳴らなかった携帯電話も、すべてがほんの少しよそよそしい存在に思える。ただ、めくり忘れていたカレンダーだけが物言いたげに視界の隅で主張していたので、めくってやった。何も予定が書き込まれていない5月が、紙がよじれる生々しい音とともに現れた。
静かに暮らそうと決めて数時間が経っていた。すっかりコーヒーのことを忘れていた。水はもう落ちきっていて、ポットの水面は静かに均されていた。もういいや、と音の世界に戻った。
4月に入ってからというものの、新生活にバタバタしてて・・・という体のいい言い訳に身を隠して、えらく散らかった生活をしてしまっていたように思います。学生時代に築き上げた、「日常を貫くぶれない軸」みたいなものがぐいんぐいんとぶれまくっている状態です。4月末になって風邪をひいてしまったのも、おそらくこのぶれが原因でしょう。学生時代の後半は風邪をひいた記憶がございませんもの。
じゃあ学生時代はどのようなことに注意して生活していたかといいますと、結局飲食、運動、そして睡眠の三大要素をうまくコントロールすることだったように思います。
[食事]
自分の体格における基礎代謝をだいたい把握して、その数値を意識した食事をする。食事の内容も、素直に好きだといえる&不健康でない食べ物を徹底して食べていました。食事の量も同年代の同性と比較したらかなり少ないっぽいのですが、別にやせ細ってるわけでもないのでOKなのです。
[運動]
毎晩の軽い筋トレとストレッチ。気がむいたら走る走る。移動は基本的に自転車で行けるところまで行く。これだけでもずいぶん筋肉とか柔軟性とか、とっさの動きなんかは衰えずに済んでいたと思います。さすがに全力疾走したら意識が飛びそうになりますけど。
[睡眠]
これは睡眠時間というよりも睡眠の質を高めるというか。前項の運動ともかぶるのですが、ベッドに入る直前に腕立て伏せを100回(するつもりでできるだけ多く)して、へとへとになった状態で横になると寝つきがものすごくよいのです。これはバイト先の社長に教わってから始めたのですが、かなりお気に入りの睡眠導入方法なのです。
社会人になると怖いのが体型の変化。要するに肥満です。
うわさに聞いていた通り、4月だけでもかなり多くの飲み会が開催されました。飲み会で利用される居酒屋で出される料理は太るためのサプリメントみたいなもので、馬鹿正直に食べているとあれよあれよと太ってしまいます。でも、飲み会の誘いをむげに断ることもできず、参加したらしたで食べ物は出るものを食べるしかないという実情。
というわけで、先に書いた3つのポイントを改めて意識した生活様式に戻すとともに、社会人としての付き合いとか言われるものを最低限こなすことで、精神的に充実した社会人生活をこの5月からは送ろうと思った勢いで書いてみました。内なる思いのアウトプット楽しいです。乱文失礼。