2011.05.07 土曜日

ある雨の鼓動

雨落

濡れた道路を蹴るタイヤの音で目覚めた朝、ベッドの上でじっと横向けに寝転がり、左耳を枕につけ、からだの中に響く心臓の音を聴いていた。「心臓は一回の鼓動で二回リズムを刻む」。そんな話を思い出して、収縮と拡張をひたすら繰り返す心臓の動きを想像していた。

昔から誰かの背中に耳をつけて心音を聴くのが好きだった。目には見えないけれどこの人の中では心臓というものが動いていて、この鼓動がこの人を動かしているのだという「人間の生きる仕組み」の基本的なところを実感できた。目を閉じて、暗闇で確かに鳴る心臓を感じていた。

生まれてから死ぬまでの心電図を記録し続けたらおもしろいだろうな、と最近考えていた。人生が何年で完結するか分からないけれど、いよいよ死ぬというその日に一生分の心電図が一冊の本になって届けられる。それを然るべき人と本を開き(或いはやはり一人かもしれないけれど)、24歳のこの日はとても鼓動が激しいけれど何があったのだろう、とか思い出したりしているうちに、静かに心臓は音を鳴らすのをやめ、ようやく本が完成する。

心臓という具体的な機能と、こころという抽象的な機能。ふたつはいつもリンクして、影響しあっている。どちらも自分の意識のコントロールとは少し別のところにあるように思う。冷静であろうする頭の考えとは独立してぼくの心臓は高鳴り、こころの温度は上昇するのだ。

2011.05.06 金曜日

曲がり角に立って

新宿の角

東京から離れている間はいつも誰かと一緒にいて、東京に戻ってからはまたいつもひとりになった。大学入学からはじめたひとり暮らしもいつの間にか7年目になっていて、それだけの時間をひとりで過ごしてきたことにちょっとした喪失感を覚えた。
最近、新宿の街が少し分かるようになってきた。ぼくはまたひとりでこの街を歩く。

2011.04.25 月曜日

OLYMPUS PEN

自分の部屋

ひさしぶりに使ったOLYMPUS PEN。
じいさんがこの世に置いていったもの。
光の射す部屋で、またフィルムを巻き上げる。

2011.04.23 土曜日

これで10年、20年

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どえらい雨ですね。

写真は大学生の時に買った革のバッグ。
ものすごく高かったけど、ものすごく気に入っている。

少し前から裏地がはがれてしまって気になっていたのだけれど、昨年知り合った友人が“治して”くれた。またはがれたときのために修理説明書も付けれくれた。さらには革がカサついていたからとオイルまで塗ってもらった。至れり尽くせり。

帰ってきたバッグを取り出したとき本当にうれしい気分になった。買ってよかったなーという気持ちと、これからもずっと使えるんだという気持ち。気に入った物と出会って、手に入れて、使い続けることのしあわせを感じた。

ありがとうございます。感謝します。

2011.04.14 木曜日

大阪の友だち

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夜中に電話が鳴った。たしか1時30分くらいだった。電気はつけっぱなしだった。

電話の相手は大阪で働く幼なじみだった。たまにメールか電話のやりとりをするくらいだけれど、昔から付き合いが続いている数少ない友だちのひとりで、家族以外では唯一ぼくのことを「あんた」呼ばわりする女性でもある。

「ごめん、寝てた?」といつもどおりのあっけらかんとした声が聞こえた。寝てた、とあやふやな意識で返事をした。こんな時間に電話をかけてくる合理的な理由があるのだろうかと考えたが、お互い電話したい時に電話ができる間柄なんだからまぁいいか、と目をつむった。地震は大丈夫だったかだとか、彼女とは続いているのかだとか、うちは彼氏とまだなんとか続いているだとか、そんな内容をうん、うん、へえ、と聞いていた。

「なぁなぁ聞いて聞いて」といういつものフレーズのあと、「来月、やっとスタイリストになれるねん」と報告された。この友人は美容室で働いていて、そういえば今年にもスタイリストデビューするとか去年の年末に言っていた気がする。「おめでとう、長かったな」と、高校卒業後に専門学校へ進学、そして自分より一足早く社会へと出て行った経緯を思い出した。ほんま長かったわぁ、と夜中とは思えないテンションではしゃいでる声が昔と変わらなかった。

ベッドでごろごろしながら、カーテンで手遊びをしながら、どうでもいいような会話を重ねる深夜。小学生の頃、中学生の頃、比べてみてもなにも変わらない。こんな歳になってもつながっていく関係を築けるなんて思ってもいなかった。ふいに「あんたはいつまで東京おるの?」と訊かれた。いつまでとは決めてない、今はまだ東京にいたい、でも一生暮らすことはないと思う、と伝えた。そーなんや、大阪帰ってきいや、と適当な返事をされ、大阪はええわ、と投げ返しておいた。

「もう眠いから寝る。今度東京おいで。」
「東京はええわ、もんじゃやろ。おやすみ。」
「もんじゃだけちゃうやろ、東京は。おやすみ。」

電話をおいて、電気を消して、布団を深くかぶった。目覚まし時計の秒針がチッチッチッと空気をひっかいた。深夜2時過ぎ、窓を隔てた世界は静かなはずなのにどこかざわざわしているように感じた。これが世界の息づかいなのだろうかと耳をすましているうちに、意識のドアが重みで閉じていった。

2011.04.11 月曜日

パステルの空でさくらの時を

houses

今朝のラジオの天気予報では「お花見日和」だといっていた。ぼくの部屋から見える東京は曇っていて、すこし肌寒かった。どんな天気をお花見日和というのだろうか、と想像した。毎年さくらの季節はまだすこし気温が低かったかもしれないな、と昔を振り返って納得し、今日はどこかでお花見をしようと思った。午後になるにつれて空は晴れ、春の光が降ってきた。

駅前のスーパーでビールを2本買い、書店に寄って文庫本を1冊買い、近所の川まで歩いていった。ぼくの住む街に流れるそのささやかな川の両岸にはわりと立派なさくらの木が生えている。川沿いの歩道から柵を越えて水上に身を乗り出すように、隆々とした黒い幹がぐぐっと伸びていて、その先端には白ともピンクともつかない曖昧な色をした花びらが風に震えていた。

歩道から橋に移り川下の方角を眺めると、歩道から一段低くなっている川辺にはブルーシートに腰をおろす人々が見えた。家族だったり、カップルだったり、何かの集まりだったりした。緩やかで短い土手をおりて、短い草の生える斜面に腰を下ろした。風が気持ちよかった。さっき真下をくぐったさくらの木が川のむこうに広がる。そしてさっきのぼくのようにふと足を止めて木を見上げる人がいた。ビールをあけ、お花見がはじまった。

空は晴れきった感じではなく、うすく広がった雲がクリーミーな青色をつくっていた。その下を乳白色の雲がときどき流れた。橋の色もパステル調でやさしい色をしていた。パステルグリーン。

聞こえる音はまわりの賑わいと、そのなかの誰かが連れてきた小型犬が何かに反応したときの鳴き声、橋を通過する小田急や高い空を横切っていく飛行機の音。どの音もすぐに溶けて消えていった。自然の中にいると音がこもらないですっと消えていく。

寝転がって飛行機を目で追った。ちらちらと光が反射してまぶしかった。あんなに遠くの光がここまで届くんだな、でも星はもっと遠くにあるんだな、とかどうでもいいことを考えたりしていた。周りにはひとりでお花見をしている人はいなかった。みんな誰かとさくらを見ていた。ひとりのように見えたおじいさんも犬を連れていた。ぼくはひとりだった。なんでひとりなんだろうか、と考えた。自分でそういうあり方を選んでしまっているんだろうな、と思った。本当はぎゃあぎゃあとやりたいのかもしれないけれど、それができない環境をコツコツとつくってきたのだと気付いて可笑しくなった。ぼくはいつまでもこうして生きていくのだろう。

川のそばでじっとしていると時間の存在を忘れてしまう。そのかわりに時間のようなものが目の前を通りすぎていく。左から右に流れていく川は一定の速度、一定の量を維持したまま、その水面にさくらを映し、ときどき花びらを連れ去っていく。左に掛かる橋のうえを人々が通り、立ち止まる。右に掛かる橋では小田急線が時間通りに人を運んでいく。その真ん中あたりでぼくはじっと川をながめていた。

帰り道、駅前の大きな木の前で立ち止まった。冬の間はくっきりとした幹と枝の輪郭が印象的だったけれど、枝先のほうがうすく緑色に霞んで見えた。花を咲かせることはないけれど、きっともうすぐ瑞々しく光る葉っぱで満たされるのだろう。

大きな風が吹き、細やかな春がかさかさと鳴った。

2011.04.09 土曜日

くもりの日

さくら

さくらが咲いた。
きれいに咲いた。

ここのところ写真を撮るのはもっぱらフィルムで、
デジカメを使うのは遊びにいくときくらいになっている。
そんな時も持っていくのはコンデジ(GRD2)だから
一眼レフのD40はかなり長い間しまいこんでいた。

そんなD40を引っぱり出して、くもりの日の街を撮ってきた。
デジタル&ズームレンズで撮るのはひさしぶりだったけれど、
バシバシ撮れるし構図作りやすいしで気楽に撮れて楽しかった。
それからD40は古いカメラだけど、やっぱいいカメラだと感じた。

さて、今日とった写真をまとめました。
大きい画像ですので時間があるときに大きな画面でどうぞ。
『2011.04.09 くもりの日』(6枚)

2011.04.05 火曜日

足元の暗号

道路#1

自分には意味が分からないことはたくさんある。
そしてその多くは分からなくても平気なことでもある。

道路#2

今日は風邪をひいたのでおやすみ。

2011.04.05 火曜日

『SOMEWHERE』

4月2日、新宿ピカデリーにて。
監督のSofia Coppolaは名前を聞いたことがある程度で、
どんな雰囲気の作品なのか特に想像もせずに劇場へ。
ジョニーの運転する黒のフェラーリがかっこいい(そして似合ってる)。
娘のクレオが時折見せる(表現は難しいけど)女性的な視線が印象的だった。
映画を観た直後は、作品の持つどこか気だるい感じに引っぱられて
ぼんやりとした感覚でしかイメージを捉えられなかったけれど、
少し間を置いた今となっては、とても好きな映画だと言えそう。
もう一度DVDで観たいな。

2011.04.04 月曜日

昨日について

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今朝起きて、シャワーを浴びながら、
昨日のことが数年前の冬の出来事のように感じた。
寝ぼけているせいか、昨日がとても寒かったせいか、
それとも本当に数年前の出来事について夢を見ていたのか、
いずれにせよ、どこか現実味を欠いた心地で思い出していた。

昨日はお酒を飲まなかったし、早くベッドに閉じこもった。
なのに今朝は頭が重く、背中がだるくて、吐き気がしている。

新しい朝がきた。希望の朝だろうか。
枕元の小説にはしおりを挟み忘れていた。

2011.04.03 日曜日

『台北の朝、僕は恋をする』

大阪・アメリカ村のBIG STEPにあるシネマート心斎橋にて、
楽しかった台北旅行を思い出しながら鑑賞した。
普通のラブストーリーかと思ったら結構コメディ寄りで、
時間があるときに気軽に観られる映画、という感じでした。
『台北の朝、僕は恋をする』

2011.03.21 月曜日

透明を重ねたような

rainy

水のにおいがした。もうほとんど意識があいまいで、からだがすべて夢の中に入ってしまおうとしているそんなとき、ベッドの上で水のにおいを感じた。水のにおいは眠気のすきまからぼくの記憶に働きかける。常温水の味がする。軟水だ。やわらかく喉を通りすぎていく。ひとときのうるおいが気持ちを落ち着かせ、やすらかな眠りがまた一歩近づくのを感じた。

水の味。それを説明しようとしても、水の味としか言いようがないことについて、ぼくは幼い頃ひどく悩んでいた。あまい、からい、にがい、すっぱい。そのどれにも当てはまらないけれど、味がしないというわけでもなくて、水の味がする。それ以上の表現を見つけることができなくてずっともやもやと悩んでいたのを覚えている。そして現在でも、ぼくはその味をうまく言語化することができずにいる。何も成長してないみたいだ。

大阪で降った雨を追いかけて東京に戻ってきた。小雨の街はいつもより明かりが少なく、最寄り駅ではまたエスカレーターが止められていた。濡れたアスファルトに跳ねる光は滲んでいた。月はどこにも見えなかった。

2011.03.18 金曜日

すこし気をゆるめ

a headphone

これから夜行バスで大阪に向かいます。
一部で行われているらしい「東からの脱出」ではなく、
予定通り三連休を関西で過ごすため、いってきます。

2011.03.14 月曜日

japanese

Kita city, Tokyo

この数日で、あなたがひとりでいるときに、
静かに、こころから想ったこと、感じたこと。
それはとても大切なことだと思います。

“東日本を襲った大震災も日本史の節目になろう。
できることなら日本が良くなる方向への転機にしたい。
それは今生きている日本人の意志にかかっている。”
    ― 2011年3月14日(月)付 日本経済新聞

ぼくらには、明日がやってきます。

2011.03.13 日曜日

慎重なコントロールを

荒川(北区側)

こんな状況では、
あらゆる場所にいる、すべての人が、
すべきことをして、考えるべきことを考え、
願うべきことを願うことしかできないのでしょう。

自戒も込めて書き記します。

Webの普及と発達で、一人ひとりの情報発信力は飛躍的に高まりました。
しかし、そのポストが、RTが、どれだけの効果・影響をもつのか。
伝えるべき人に伝わるのか、単なるノイズになりはしないか。
そういうことに配慮しなければいけないと思います。

被災現地から距離のある、比較的安全なエリアにいる我々は、
その各々が、メールアドレスで、電話番号で繋いでいけば、
必要な人に、必要な情報が行き届くのではないでしょうか。

出来るかぎり、ノイズを減らしましょう。
伝えるべきことを、伝えるべき人に、きちんと伝えましょう。
自らの行動を慎重にコントロールしましょう。

2011.03.07 月曜日

Tokyo

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2011.03.06 日曜日

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堅そうな木から、瑞々しい葉が出て、
ついに柔らかくてうつくしい花が咲く。
そんなすがたに惹かれないはずがない。

2011.03.05 土曜日

『トスカーナの贋作』

先週末に観た映画。『トスカーナの贋作

2011.03.02 水曜日

そんな時間を過ごしたい

steps

自由に、まとまりなく、とぎれとぎれに、
真剣に、あるいは冗談を織りまぜて、
ゆっくりと思う存分時間をかけて、
何かについて話をしよう。

2011.02.26 土曜日

空気の連鎖


ボーカルで始まる曲をイヤホンで聴く。
すると最初の息を吸う音が聴こえる。あれがすきだ。

息を吸い、肺を満たす。
声帯を震わせながら歌声へと変えていく。
シンプルな工程の中にはじつに繊細で絶妙な技術があり、
それらはすべて感覚によってなされている。

歌声は空気を伝わりぼくの耳に届き、鼓膜を震わせる。
音を着たことばによって、記憶の中の何かが共鳴し、
それが言い知れぬ感動となって目頭が熱を帯びるのだ。