Posts categorized “考え事”
2013.03.24 日曜日
Sakura, sakura.
今年もさくらが咲いた。昨年の10月まで暮らしていた街に戻り、お気に入りの川沿いでお花見。あいかわらずののんびりとした雰囲気が、この街で生活していた感覚を思い出させてくれた。 こじんまりとした幾つかの集団が川沿いに腰をおろして、土曜日の昼下がりと春のおとずれを満喫していた。少しむさくるしい感じのおじさんたちが鳴らしていたギターが小気味よく空に溶けていった。
何を考えていただろう。写真を撮りながら。たいしたことではなかったと思う。だけど生きているうち、本気で思い悩んで何かを決めるシーンってほとんど限られていて、多くの時間は何気ないことを考えて過ごしていて、でもそれが人生や自分自身をつくっているんだと思う。きっとぼくの写真もそんな感じで、何かを残そうとか表現しようとか、シャッターをきる瞬間はそういうことは考えていないはずだ。だけどその風景は写真に残っていて、ぼくはぼくの感覚を表現している。
2013.03.20 水曜日
水曜日のシンコペーション
水曜日の休みは素晴らしい。通常の5日勤務2日休みの場合、「月火水木金土日」は「トントントントントンタンタン」というリズムであり、「トン」の5連拍によって非常に間延びした雰囲気になる。それゆえどうしても平日最後の「トントン」はもたついた感じになる。これが今週のように水曜日に休日が入ることで、雰囲気がガラっと変わる。「月火水木金土日」のリズムが「トントンタートントンタンタン」に変化することで、一転してリズミカルに過ごすことができる。ここでの水曜日は単純な1拍の「タン」ではなく、週末の「タンタン」に繋がる余韻を残すことで間に挟まれた「トントン」をスムーズに展開させてくれる。だからぼくは水曜日の休みが好きだ。トントンタートントンタンタン。
2013.03.18 月曜日
ことばの代わりになるもの
2013.03.10 日曜日
2杯目の紅茶
2013.03.03 日曜日
This is just what I wanted.
2013.01.26 土曜日
青い影がするりと
2013.01.23 水曜日
A little forest in my town
2013.01.20 日曜日
具体的すぎる日々、輪郭は鋭さを増す一方で
2013.01.14 月曜日
Snowing in Tokyo
2013.01.12 土曜日
ときどき冬空を眺めながら
2013.01.06 日曜日
ディズニーランド
2013.01.03 木曜日
くぼみを満たすもの
2012.12.31 月曜日
ジュウガツザクラの咲く夜に
近所の遊歩道にジュウガツザクラが植えられている。ぼくはそんな名前の木があることを知らなかった。この街に引っ越してきたのが10月中旬、そのときには一つの花も咲いていなかったので、なんだ名前と違うじゃないかと通るたびに思っていた。
先週の夜、その遊歩道を歩いて駅に向かう途中で、頭上で小さな点が白く光っているのに気付いた。硬くて冷たそうな細い枝からぽつぽつと、卵殻膜のように薄い花が咲いていた。それが月明かりに照らされてくっきりと、世田谷の空に浮かんでいた。年の瀬に桜の花が見られるなんて、26年生きてきて考えもしなかったことだった。
今年は初めて東京で年越しを迎えようとしている。本当は一年間の疲れを癒すために海外旅行に行こうとしていたのだけれど、年末の忙しさにかまけて予定を計画することをさぼってしまい、気付いたときには航空券もホテルも空きがなくてゲームオーバーだった。
それならばおとなしく故郷に帰ればいいのだけれど、数日前に同窓会も終わっているし、家族もみんな好き好きに過ごすらしいし、地元はとても寒いし、なんだか気が進まなくて、こうして東京の自宅でFMラジオを聴きながらのんびり過ごしている。年が明けてから気が向けば帰ろうと思う。年越しは東京の友だちとわいわいやることになりそうだ。
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2012年、総括すると楽しかった。
ここでも何度か書いたけれど、今年2月に会社の部署異動があり、忙しいチームに配属された。これまで月あたりの残業時間が10時間もなかったのに、2月以降12月までは平均50時間くらいまで増えた。カリフォルニアと連動して仕事をしている都合で、土曜日も午前中までは仕事をするはめになった。動かす金額が大きくなったので、関わる人も多くなって、その人たちの間に入ってプロジェクトをコントロールするのは骨が折れた。本当に心の骨がポキッと折れた気がした日もあった。
そんな日々だったけれど、仕事に対するモチベーションは落ちなかった。去年までは休日に好きなことをするために平日は我慢して仕事をしているような感じだったが、今年は仕事にはある意味無思考で取り組まざるを得ないほど忙しく、それゆえもやもやしている暇などなく、ひたすら走り続ける感じだった。そして休日だからといってゆっくりするために無理にブレーキを踏むと月曜日がつらくなるので、推進力にそのまま乗っかるようにして過ごしてきた。だれかの誘いにはだいたい応じたし、好きなことを好きなだけやってきた。おかげで日々が充実して、充実させるために仕事をがんばろうと思えた。時間の経過がとてもとても早かったけど、その流れをなんとか乗りこなせたこと、それが楽しかった。
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写真について。
今年はフィルム市場の縮小をひしひしと感じる一年だった。富士フイルムはよく使っていたREALA ACEを販売終了にしたし、Kodakは経営破綻してフィルム事業を手放すことになった。写真屋の現像は値上げされて、おまけにモノクロ現像納期も長くなってしまった。じゃあ自分で現像すりゃあいいじゃないかと思って調べてみると、そこまでコストはかからないし難しくもないようだったので、現像タンクと薬品だけはカメラ屋で買って、あとは100均の道具を使って自家現像するようになった。実際、現像自体は簡単だった。微妙な調整はまだまだといった感じだけれど、回数を重ねて熟練するしかないのだろう。とにかくいつでも現像できるのは精神的によいことだ。
それから、2012年は写真で撮るものが大きく変わった。大学時代に写真を始めてから去年までは街の風景を写すことが多かったけれど、今年はいつも一緒にいる友人たちを撮るようになった。これまで人の写真を撮ることはほとんどなかったぼくにとってそれは新鮮だった。みんな気に入ってくれるし、喜んでくれる。それがとても楽しいことなのだと知った。
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2013年。
どんなふうに過ごそうか。今年は流れに乗ることで前進した一年だった。その流れが来年も続いてくれるとは限らない。他の流れを見つけてそこに飛び込むか、自分で流れをつくっていくか。いずれにしても今年と同じような過ごし方をしようとは考えないほうがいいと思っている。それは今年がダメだったからではなくて、今年のような生き方のパターンを学んだからこそ、別のスタイルも経験していくべきだと思うから。同じ一人の人間でも、生き方は好きなように変えられる。それはとてもすばらしいこと。
これまでずっとそばにいた人がいなくなった一年間。自分の中の「定点」を失った恐怖は本当に計り知れないものだった。うまくやっていく自信がなくてとても不安だった。現時点でも、ぼくはまだ新たな定点を見つけることができずにいる。それでもこの一年間を振り返ると、結局ぼくの心は崩れることもなく、ただこれまでと少し違った形で毎日を過ごしてくることができた。この事実はとても大切な事だと感じている。きっと2013年は次の定点を求めて生きていくのだと思うけど。
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ジュウガツザクラは年に二度、花を咲かせるらしい。彼らに一年という単位概念はなかろうが、ぼくは二度の開花をカレンダーに重ねてみるのだろう。次に花咲く季節にぼくは何を想うだろう。そして来年の年の瀬、ぼくは誰を想うのだろうか。
2012.12.03 月曜日
きみ
この週末、以前付き合っていた人と話をする機会があった。ぼくが初めて付き合った人で、これまで人生で唯一付き合った人。この人しか知らないぼくがいて、それがどんな人間だったかということついて話をした。かつてそこにあったぼくと彼女の雰囲気を思い出し、いい人と付き合えてよかったと思った。よく笑う子で、笑っているところがすきで、だからぼくはきみを笑わせるのがすきだった。そうそう、付き合って1年間くらい名前で呼ぶのか恥ずかしくて「きみ」って呼んでて、彼女もつられてぼくのことを「きみ」って呼んでた。変なカップルだった。
きっとまたこの先探していれば
もっと素敵なものが見つかるだろう
なによりも僕を見て嬉しそうに
笑う顔が見れて嬉しかった
東京へ戻るため伊丹空港へと向かうバスの中でこの曲を聴いていた。きみをしあわせにすることができなかったぼくができることは、きみがしあわせになることを心から願うことだけで、でもそれは出会った時から今までずっと変わらない気持ちだし、これからもずっと同じなんだろうと思う。
2012.12.01 土曜日
深夜、いつものところで
ばかみたいに素直だった時期があった。好きだったら好きだとことばにして伝えたし、嫌なことはすべて明確に拒絶していた。ほとんどの時間をひとりで過ごしていた。朝は早く起きてベランダから日の出を眺めていた。昼間は天気がよければ広い公園で写真を撮っていた。雨の日は家に閉じこもって文章を書いたり、ときどき同じ公園で写真を撮ったりしていた。夜は月が出ている日はそれを見ていた。月のない夜は何をしていたか憶えていない。月が出ていようと出てなかろうと、ほとんどの夜はチャットをしていた。夜、インターネット越しに誰かと話すのが好きだった。夜は世界と心の距離がいちばん近づく時間だと思っていて、それは同時に自分の深層が露になる時間なのだと思う。そんなときにPCに向かって、文字で、ほとんど会ったこともない誰かと素直なことばを交わす。穏やかで、ほんとうに楽しい時間だった。
2012.11.30 金曜日
そして海に還るように眠る
2012.11.28 水曜日
夜の光とブギーバック
2012.11.26 月曜日
インターネットの宇宙で流れ星を見た
2012.11.25 日曜日
意識の部品
何かを眺める人の横顔に浮かぶ空白を見つけては、自分にもそんな時間があることに気付く。ただ何かを見つめるその間、意識の深いところで小さな歯車がカチカチと噛みあい、言語化できない想いがあたまにぐるぐると渦巻いて、ぼくの場合はだいたい、すこし悲しくなる。「なぜ普段はこんな風に考えられないのだろう。自分の深いところで考えつくことと、実際の言動が一致していないのだろう」といったようなことを思ってしまう。それはときどきとても苦しい時間になるけれど、たまにそんな時間があることで軌道修正することができる。
この一年くらい、仕事や遊びのときの自分と、休みの日にひとりでいるときの自分をなるべく近づけようと心がけてきた。いわゆるオンとオフ。このの差が大きければ大きいほど、ときどきオンとオフが混ざったようなイベントがあったときにとてもつらくなる。自分が保てなくなって、その場に出るのがおっくうになる。だからその二つの面をできるだけくっつけようとしたけれど、それはやっぱり表と裏で、ひとつにすることは難しい、少なくとも自分には無理なのだと実感した。これからはむしろ意識的にスイッチの切替えを明確にして、自分で自分の二面性を認めていきたい。オンの領域は薄く広げ、オフの領域を狭く深く。そして境界線をくっきりと刻もう。






































