Posts tagged “Mamiya645”

2013.04.14 日曜日

単焦点な毎日を、不確定な距離を抱えながら

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親しい人が遠くへ行く。ある人は物理的に、ある人は心理的に。物理的に離れてしまっても、お互いを想う気持ちがあれば心理的な距離は変わらないし、より近くなることだってあるかもしれない。心理的に離れてしまったら、物理的な距離は同じでも、どうしたって声が届かない空白が二人の間に横たわり、大きな喪失感がのしかかる。


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単焦点レンズはズームレンズと違って自分が動きまわって構図を探す必要があるから構図をつくる力が身につきやすい、みたいな話を写真を始めた頃に聞いたので、それ以来ひたすら単焦点レンズだけで撮ってきた。構図をつくる力うんぬんは別にして、こういう写真を見返したときに、自分がこの美しい花の咲きっぷりと木の立ち姿に惹かれて近くまで歩いて行ったんだということが分かったりするように、過去の自分の感情を生々しく読むことができるのは単焦点レンズの素晴らしいところだと思う。

距離はいつだってぼくらの間に存在している。伸びたり縮んだりしながら、いろんな性質を持ちながら。だけど結局のところ、何かをもっとよく見たければ、あるいは少しでも触れたければ、その方向へと歩いていくしかない。そうすればいいだけだ。

2013.03.24 日曜日

Sakura, sakura.

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今年もさくらが咲いた。昨年の10月まで暮らしていた街に戻り、お気に入りの川沿いでお花見。あいかわらずののんびりとした雰囲気が、この街で生活していた感覚を思い出させてくれた。 こじんまりとした幾つかの集団が川沿いに腰をおろして、土曜日の昼下がりと春のおとずれを満喫していた。少しむさくるしい感じのおじさんたちが鳴らしていたギターが小気味よく空に溶けていった。

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何を考えていただろう。写真を撮りながら。たいしたことではなかったと思う。だけど生きているうち、本気で思い悩んで何かを決めるシーンってほとんど限られていて、多くの時間は何気ないことを考えて過ごしていて、でもそれが人生や自分自身をつくっているんだと思う。きっとぼくの写真もそんな感じで、何かを残そうとか表現しようとか、シャッターをきる瞬間はそういうことは考えていないはずだ。だけどその風景は写真に残っていて、ぼくはぼくの感覚を表現している。

2013.03.20 水曜日

水曜日のシンコペーション

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水曜日の休みは素晴らしい。通常の5日勤務2日休みの場合、「月火水木金土日」は「トントントントントンタンタン」というリズムであり、「トン」の5連拍によって非常に間延びした雰囲気になる。それゆえどうしても平日最後の「トントン」はもたついた感じになる。これが今週のように水曜日に休日が入ることで、雰囲気がガラっと変わる。「月火水木金土日」のリズムが「トントンタートントンタンタン」に変化することで、一転してリズミカルに過ごすことができる。ここでの水曜日は単純な1拍の「タン」ではなく、週末の「タンタン」に繋がる余韻を残すことで間に挟まれた「トントン」をスムーズに展開させてくれる。だからぼくは水曜日の休みが好きだ。トントンタートントンタンタン。

2013.01.26 土曜日

青い影がするりと

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Mamiya645、ときどきこんな感じの光線漏れみたいなのが起きる。1ロール中2コマとか。SS:1/1000sの時に起こるのかなぁとか予想してたけど、たぶんこれは昼間の室内だから1/100sとか1/125s。のはず。修理にお金をかけたくないカメラだし、どうしたらいいものか。

2013.01.23 水曜日

A little forest in my town

光を受けた葉の緑色は美しい近所の植物屋

Recently, it seems that I often slip into deep thought mode. But there was nothing left in my hand when I came to myself.

2012.12.01 土曜日

深夜、いつものところで

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ばかみたいに素直だった時期があった。好きだったら好きだとことばにして伝えたし、嫌なことはすべて明確に拒絶していた。ほとんどの時間をひとりで過ごしていた。朝は早く起きてベランダから日の出を眺めていた。昼間は天気がよければ広い公園で写真を撮っていた。雨の日は家に閉じこもって文章を書いたり、ときどき同じ公園で写真を撮ったりしていた。夜は月が出ている日はそれを見ていた。月のない夜は何をしていたか憶えていない。月が出ていようと出てなかろうと、ほとんどの夜はチャットをしていた。夜、インターネット越しに誰かと話すのが好きだった。夜は世界と心の距離がいちばん近づく時間だと思っていて、それは同時に自分の深層が露になる時間なのだと思う。そんなときにPCに向かって、文字で、ほとんど会ったこともない誰かと素直なことばを交わす。穏やかで、ほんとうに楽しい時間だった。

2012.11.30 金曜日

そして海に還るように眠る

海辺

最近しっかりお酒を飲んでない。
ゆらゆらと酔っぱらってそのまま眠りたい。

まだ1ヶ月あるけれど、今年はずいぶん突っ走った。
年末か年明けすぐ、また海外に行きたいな。
すべてから解放されたい。

2012.11.28 水曜日

夜の光とブギーバック

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今朝電車で、日差しがぼくのひざを照らした。
手をかざし、じわりと高まる皮膚の温度を感じていた。
そしていつの間にか眠りに落ちた、井の頭線・吉祥寺行き。

昨日の夜にこの動画を見つけてから何度も聴いてる。
ダンスフロアに華やかな光 ぼくをそっと包むよなハーモニー

2012.11.25 日曜日

意識の部品

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何かを眺める人の横顔に浮かぶ空白を見つけては、自分にもそんな時間があることに気付く。ただ何かを見つめるその間、意識の深いところで小さな歯車がカチカチと噛みあい、言語化できない想いがあたまにぐるぐると渦巻いて、ぼくの場合はだいたい、すこし悲しくなる。「なぜ普段はこんな風に考えられないのだろう。自分の深いところで考えつくことと、実際の言動が一致していないのだろう」といったようなことを思ってしまう。それはときどきとても苦しい時間になるけれど、たまにそんな時間があることで軌道修正することができる。

この一年くらい、仕事や遊びのときの自分と、休みの日にひとりでいるときの自分をなるべく近づけようと心がけてきた。いわゆるオンとオフ。このの差が大きければ大きいほど、ときどきオンとオフが混ざったようなイベントがあったときにとてもつらくなる。自分が保てなくなって、その場に出るのがおっくうになる。だからその二つの面をできるだけくっつけようとしたけれど、それはやっぱり表と裏で、ひとつにすることは難しい、少なくとも自分には無理なのだと実感した。これからはむしろ意識的にスイッチの切替えを明確にして、自分で自分の二面性を認めていきたい。オンの領域は薄く広げ、オフの領域を狭く深く。そして境界線をくっきりと刻もう。

2012.11.24 土曜日

たとえば、2020年

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引越しの日、業者が荷物の運び出しを終えたあと、タクシーで新居へと向かった。駅前でつかまえたタクシーの運転手は真っ白な髪の毛をしていて、よくいる運転手と同じように、たいくつな話をするのが好きだった。そしてぼくはそんなたいくつは話を聞くのがわりと好きだった。彼は若い頃はメーカーに務めていたけど、タクシー業をするようになってからのほうがもう長くなったらしい。むかしの日本のメーカーは云々と、最近の日本勢の状況を嘆いていた。

行き先を伝えるとき、ここに行きたいんですが、たぶん世田谷通りを東へ走って、環七を北上したらいいんだと思います、って伝えたら、そんな行き方したら時間がかかってもったいない、まかせておきなさい、と自信あり気に言い返された。それじゃお願いします、とおまかせした。タクシーは小田急線沿いの道を東へと進む。経堂駅あたりを通過するときに、このへんもだいぶ変わったんですよ、とじいさんは呟いた。清潔な身なりで、穏やかな話し方のじいさんの運転は、軽やかで丁寧だった。

東京に住んでいて気付くのは、街が刻々と変化していること。渋谷や新宿はきちんと交通網が整備されていて、ありとあらゆる店が並んでいて、街としてもはや完成しているはずなのに、いつもどこかで何かが壊され、造られている。すごいスピードで、すごい規模で。比較的小さな下北沢の街ですら、いつの間にか少しずつ景色が変わっている。

それでも変わらずに残っていく街の風景があって、それを見てきたこのじいさんみたいな人がいるんだなぁと、世田谷区をするする駆け抜けていくタクシーの車窓越しに考えたりしていた。8年後の東京はどんな街だろうか。ぼくはどこにいるのだろうか。

2012.11.19 月曜日

秋晴れの日に木を買ってきた

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11月も半分を過ぎて、街に吹く風もだいぶ冷たくなってきた。ここ数年、自分でも意外なほど寒さに弱くなっていて、つい心がこわばりがちになっている気がする。心だけでなく、これは寒さとはあまり関係がないけれど、体の柔軟性もずいぶん悪くなっているので、最近は意識的にストレッチ運動をするようになった。これまでの人生の中で、いちばん自分の体が強くしなやかだったのはやっぱり高校時代。毎日あれだけの運動をする力の根源はひとえに若さだったのかもしれないけれど、なんかそう考えてしまうと自分の体はもうおしまいのように感じるから、じわじわと改善をしていきたい、改善していくつもり。

東京に住み始めてから4年半が過ぎた。仕事もそれなりにやっているし、自分で気に入った家を探して借りているし、安心して一緒にいられる友達もできたし、写真はあいかわらず好きだし、なんだか普通なんだけど、わりとしっかり生きられているのかもなあと最近感じている。ようやくベースが固まったというか、いまの状態を維持することを最低限として、そこに費やす以上の時間やお金、頭の使い方をどこに振り分けていくべきかを落ち着いて考える段階になった。仕事とか、人間関係とか、趣味とか、より深めたり広げたりジャンプしたりしたいことはいろいろあるし、まだ自分が気づいてないことや知らないこともたくさんあるから、まずはじっと見つめて考えて、判断して進んでいきたい。

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引越ししてからずっと欲しかった小さめの木を買ってきた。見た目と値段と、店員さんに教えてもらった育てやすさをポイントに選んできたけど、木の種類をメモしてくるのを忘れてた。まあそんなことは知らなくてもどうにかなるし、勝手に名前をつけてやってもいいかなんて思ったりしている。

2012.09.09 日曜日

現在と未来の思い出

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小学校からのともだちが来年、結婚するそうだ。あの頃は想像もしなかったことが、刻々と流れる時間の中で少しずつ実現されていく。どこか昔の気持ちが宿ったままのぼくの脳みそはうまくそれらを処理することができなくて、なんだか時間軸から振り落とされてしまったような気分になる。最近、はっきりとしていたはずの思い出は淡いグレー色に薄まっていく一方で、ことばにできない感覚のようなものは自分の中でどんどん濃くなっていく。そのことがとてもつらく感じる時がある。現在のために、あるいは未来のために生きるというのはとても前向きな姿勢だけれど、ぼくはどちらかというと思い出を残すために生きていて、それはとても難しいらしいことにようやく気がついた。

2012.08.20 月曜日

なつかぜ

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今朝、5時半頃に部屋の掛け時計が止まった。電池切れだった。

全力で駆け抜けた夏休みの反動だろうか、土曜日の夜から38℃の熱が出て、なかなか治らない。今日も会社には出たけれど10時にギブアップ。帰りに内科に寄って薬をもらってきた。なんとなく弱り気味。

友達がFBとかのプロフィール写真にぼくの撮った写真を使ってくれるととてもうれしい。ぼくがその人をどう見ているのか、どの角度、どんな瞬間が素敵だと思っているのか。そういうことを本人と共有し、受け入れてもらえたのだと感じるから。

さっきスーパーに行ってきた。電池とポカリスエットを買ってきた。電池ってこんなに高かったっけ、と思った。町の掲示板から先週末の花火大会のポスターがなくなっていた。夜風がとても涼しくて、気持ちがよかった。

2012.08.19 日曜日

夏の感触

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今年もまた夏が終わろうとしている。夏という季節はいつ始まり、いつ終わるのか。そこには暦上の決めごとはあるのだろうけど、街に吹く風や太陽のひかりの微妙な、しかし確実な変化を、それぞれの人がそれぞれの感覚でとらえて、季節の変化を感じるのだろう。

ぼくにとって、今年の夏はとても短いものだった。夏が始まっていることに気づきながら、しばらくは春と変わらない日々を送っていた。季節に乗り遅れるかなしみは、生まれて初めて感じたものだった。

徳島の海、薄曇りの空。さらさらの砂が波に濡らされて、一瞬だけ太陽をきらきらと反射する。そこを足でなぞり、砂の感触をたしかめて、ああ夏が終わるんだな、って思った。

2012.03.12 月曜日

もくもくと

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いつもよりも長いシャワーを浴びた。
今日はそんな日だった。

最近、帰り道に、家の近くの桜の木を見るたびに、
春がくるのが楽しみでしかたがない。

パン屋さんのパンはおいしい。
クロワッサンの食感に魅せられて、よく食べている。

自分の中のノイズをうまく消すことができない。
むかしからそうだったのかもしれないけど。

リコーのGRD2が壊れてしまった。
28mmは、ぼくには広すぎた。

フィルム写真のうつくしさにまた感動した。
世界にはこんな景色が満ちている。

2011.10.11 火曜日

たとえばこの部屋で

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クッションに手をあてて
ぐっと押し込んだときの手ざわりや
カーテン越しの光のまぶしさや温度は
いったいどこまで伝わるのだろうか。

この女性の目線の先になにがあるのか
そのことをぼくが知ることはないけれど
それでも、この写真はうつくしいと感じるのです。

2011.10.08 土曜日

湯けむりの中で

25

今日で25歳になりました。

最近はだいぶ自分が見えてきて、それが結構つらかったりもする日々です。それでも、ぼくはもうしばらく生きていくつもりだから、もっと素直にやっていければいいなあと、箱根の温泉につかりながら考えたのでした。

生きることは、ときどきつらいけど、まぁ楽しいです。うん。

2011.07.11 月曜日

それは鳥の卵のように

ILFORD HP5窓とベッドとフィルムとPORTRA 160NC

現像する前の35mmフィルムがすき。
ちいさくて硬いパトローネの中に、
こわれやすい過去が包まれている。
 

2011.07.10 日曜日

線とか色とか光とか

2011 June

なんで写真を撮っているのだろう。
なにを残そうとしているのだろう。
 

お気に入りのバスタオル

無限に流れる時間のなかの
自分の人生という区切りのなかにある
気が遠くなるほど微細な一点の瞬間を残すとき
乾いたシャッター音がまたひとつ響く。
 

2011.01.28 金曜日

the moon

moon

東京の月夜。