Posts from 12月 2011

2011.12.31 土曜日

僕なりに考えて出した答えの中に

地元にて

2011年6月29日、並走する電車について書いた。
12月、人生が分岐していく瞬間に立ち尽くしていた。

自分が愛している人を失うこと。
自分を愛してくれている人を失うこと。
どちらのほうがより不幸なことだろうか。
そんな文章をインターネットで読んだことを思い出した。

すこし未来。日付はわからない。
そこに大きくて重たいひとつの目標を置いてみた。
どんな道をたどるのか、どれだけの時間がかかるのか。
そんなことは歩きながら描いていけばいいって考えていた。
勝手にそんなこと考えていた。

2011年もことばや行動をひとつひとつ積み重ねてきた。
それをじっくり読み返してみたいと思う。
何を選んで、何を選ばなかったのか。
誰を求めて、誰を遠ざけたのか。
なぜ今の自分がいるのか。

今年もありがとうございました。

2011.12.26 月曜日

さよならサンタクロース

さよならサンタ

最後のことばは、ありがとう。

2011.12.14 水曜日

飛行船とクジラ

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あなたは知っているだろうか。この町の空に、ときどき、飛行船が浮かんでいることを。音もなくゆっくりと空を進んでいく飛行船を見ると、ぼくはいつも孤独を感じてしまう。とても大きいのに、あまりにも広い空にぽつりといるせいで、どうしようもなくひとりぼっちに見えてしまう。まるで海で群れからはぐれたクジラのように。

ぼくはあんなふうに大きくないにもかかわらず、ついついひとりになることを選びがちなところがある。だけど、この複雑な世界をひとりで歩くのはとてもむずかしい。ひとりになったつもりでも、どこかで誰かのことを想っていたり、どこかで誰かが想っていてくれたりするから。それに気づいたとき、こんな景色を誰かと一緒に眺めたくなったりするのです。

2011.12.12 月曜日

週末の儀式と大いなる違和感

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週末、まじめにワイシャツのアイロンがけをすれば、その一週間は朝のアイロンがけから開放される。あたりまえのことだ。あたりまえのことなのだから、毎週末さぼらずにアイロンを握ればいいのに、週末にまで仕事のことを考えたくなくてさぼってしまうこともある。そしてまた慌ただしい朝を過ごすのだ。週末の自分をうらみながら。

大学時代、東京に遊びに来たときに上野駅で朝の通勤ラッシュを見た。黒い集団が天井の低い通路を一定方向に流れていったあの光景をいまもはっきり覚えている。ぼくはいま、あの集団の中にいる(ぼくの場合は下北沢駅だけど)。通勤ラッシュにすっかり慣れてしまった自分がいる一方で、あいかわらず満員電車の中でそこにいる人たちを観察してはもやもやした気持ちになっている。

なにが言いたいのか整理できてないけど、ぼくはずっと大いなる違和感の中で毎日を過ごしている。その正体に気づかず、あるいは気づいても見て見ぬふりをしてやり過ごしている間に、違和感は固定化されて、ぼくの足はより重くなって、ワイシャツのシワなんて気にしなくなって、黒い集団に溶かされてしまうのかもしれない。

2011.12.11 日曜日

今宵の皆既月食に寄せて

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皆既月食を眺めている。
月にじわりと影が落ちていく。
欠けていく黄色い月に注がれていた意識が、
徐々に満ちていく薄明かりの赤い月にシフトする。
いつも見ている月がとても眩しく感じる。

地球で手を差し出すと地面に影が落ちる。
遠く離れた月でそれと同じことが起きている。
光に照らされて、影ができる。
それをみんなが見つめている。

道を歩く人が空を見上げて足を止めた。
「なにあれ?」
皆既月食が起きることを知らなかったらしい。
「すごい」
ぽつりとつぶやいた彼女はしばらく時間を忘れていた。
人が何かに感動する姿はまた、僕を感動させた。

最近、時間の感覚が伸びたり縮んだりしていて、
自分のペースを守りきれずに翻弄されているうちに
気がつくと、とても寒い季節になっていた。
一定の速度で欠けては満ちていく月を眺めて、
いったん気持ちがリセットされたような気がしている。