Posts from 5月 2011

2011.05.27 金曜日

週末の気分で写真についてぼそぼそと

蒼風

ぼくはこういうものを見てうつくしいと感じたりすてきだなあと感じたり、つまり心が惹かれるのです、ということを端的に表現できるのが写真のいいところのひとつなのだと思います。そしてそういう瞬間を共感してくれる人がすきだし、そういう瞬間を共有できるようになるべくそばにいてほしいのです。

写真はとてもむずかしい。写真に意味を与える、写真で何かを伝えることなんてぼくにはできないと思う。だからぼくは人生の中でときどき出会えるうつくしい瞬間をただひたすら集めているだけで、そんなぼくがすきな瞬間をすきだと感じてくれる人に会えればいいなあなんて淡い期待を抱きながらBlogを続けたりしているのです。

2011.05.22 日曜日

写真って静かだなと思った

渋谷爺

井の頭線改札からつながる渋谷マークシティ連絡通路。
ここでスクランブル交差点を眺める人を見るのがすきです。

2011.05.22 日曜日

本の整理

むかし読んだ本のなかで付箋つけてた文章メモ。

物事の判断にあたっては、つねにその本質にさかのぼること、そして人間としての基本的なモラル、良心にもとづいて何が正しいのかを基準として判断をすること p.21

問題は、本来限定的にしかあてはまらない「常識」を、まるでつねに成立するものと勘違いして鵜呑みにしてしまうことである p.29

今日はひさしぶりに本の整理をする。
この文章さえあればいいや、っていうのは処分。
どうしても捨てられない本だけ残しておく。

2011.05.12 木曜日

いつものランドリー

æ´ç±

薄ぼけた影がいい。

2011.05.08 日曜日

4つの景色

in the wind

目で見た景色。
ファインダーを通した景色。
写真となった景色。
記憶の中の景色。

どれも風が吹いている。

2011.05.07 土曜日

ある雨の鼓動

雨落

濡れた道路を蹴るタイヤの音で目覚めた朝、ベッドの上でじっと横向けに寝転がり、左耳を枕につけ、からだの中に響く心臓の音を聴いていた。「心臓は一回の鼓動で二回リズムを刻む」。そんな話を思い出して、収縮と拡張をひたすら繰り返す心臓の動きを想像していた。

昔から誰かの背中に耳をつけて心音を聴くのが好きだった。目には見えないけれどこの人の中では心臓というものが動いていて、この鼓動がこの人を動かしているのだという「人間の生きる仕組み」の基本的なところを実感できた。目を閉じて、暗闇で確かに鳴る心臓を感じていた。

生まれてから死ぬまでの心電図を記録し続けたらおもしろいだろうな、と最近考えていた。人生が何年で完結するか分からないけれど、いよいよ死ぬというその日に一生分の心電図が一冊の本になって届けられる。それを然るべき人と本を開き(或いはやはり一人かもしれないけれど)、24歳のこの日はとても鼓動が激しいけれど何があったのだろう、とか思い出したりしているうちに、静かに心臓は音を鳴らすのをやめ、ようやく本が完成する。

心臓という具体的な機能と、こころという抽象的な機能。ふたつはいつもリンクして、影響しあっている。どちらも自分の意識のコントロールとは少し別のところにあるように思う。冷静であろうする頭の考えとは独立してぼくの心臓は高鳴り、こころの温度は上昇するのだ。

2011.05.06 金曜日

曲がり角に立って

新宿の角

東京から離れている間はいつも誰かと一緒にいて、東京に戻ってからはまたいつもひとりになった。大学入学からはじめたひとり暮らしもいつの間にか7年目になっていて、それだけの時間をひとりで過ごしてきたことにちょっとした喪失感を覚えた。
最近、新宿の街が少し分かるようになってきた。ぼくはまたひとりでこの街を歩く。