今日で夏休みはおしまい。九日間の休みだったけれど、実家に三日間帰っただけで旅行には行かず、あとは東京でのんびり過ごした。この夏、花火をニ回観ることができた。一回目は東京湾花火大会。大混雑の地上とは対照的に、立派な花火がのびのびと濃紺の空に打ち上がる様子はすばらしかった。二回目は昨夜、神宮外苑花火。夜19時30分頃に下北沢へ歩いている途中、いまは使われていない小田急線の地上線路を渡るための陸橋から、遠く東の方に花火が見えるのに気付いた。すぐそばには東京スカイツリーのライトがゆっくり点滅しているのが見えた。
とても幸せだった日のことをときどき思い出す。金曜日に休みをとって湘南へ行き、少し肌寒い海岸で昼寝をして、江ノ島を歩きまわって夕陽を眺めて、帰りには下北沢で遅くまでお酒を飲み、終電を逃してタクシーで家に帰り、家でまたお酒を飲み、気づいたら眠っていて、昼前にゆっくりと起きて、街の写真屋さんでフィルムを現像に出して、ラーメンを食べに行って、羽根木公園を散歩して、途中でベンチに座って通りすぎていく人たちを眺めて、街に戻って現像されたフィルムを受け取って、人気のパンケーキ屋さんでおいしいパンケーキを食べて、その後どうしたっけな、忘れたけど、たぶん途中からずっと、今度はいつ会えるだろうってずっと考えてたと思う。
そんな日のことを思い出すと、なんでもない普段の生活や休日の出来事がすこし曇って見えてしまっている気がする。もちろんすべての日々が最高に幸せであることなんてないのだけれど、楽しかったはずの日が、そんなに楽しかったと思えない自分に気付いてしまうと、その背景には幸せ過ぎたあの日が強烈に輝いていて、その残像が花火の煙のように漂って日々の景色をあいまいにしているのかもしれない。こういう感受の仕方って、わるいくせだと、自分でも思う。