水のにおいがした。もうほとんど意識があいまいで、からだがすべて夢の中に入ってしまおうとしているそんなとき、ベッドの上で水のにおいを感じた。水のにおいは眠気のすきまからぼくの記憶に働きかける。常温水の味がする。軟水だ。やわらかく喉を通りすぎていく。ひとときのうるおいが気持ちを落ち着かせ、やすらかな眠りがまた一歩近づくのを感じた。
水の味。それを説明しようとしても、水の味としか言いようがないことについて、ぼくは幼い頃ひどく悩んでいた。あまい、からい、にがい、すっぱい。そのどれにも当てはまらないけれど、味がしないというわけでもなくて、水の味がする。それ以上の表現を見つけることができなくてずっともやもやと悩んでいたのを覚えている。そして現在でも、ぼくはその味をうまく言語化することができずにいる。何も成長してないみたいだ。
大阪で降った雨を追いかけて東京に戻ってきた。小雨の街はいつもより明かりが少なく、最寄り駅ではまたエスカレーターが止められていた。濡れたアスファルトに跳ねる光は滲んでいた。月はどこにも見えなかった。