雨降りな月曜日。電車は傘の分だけきゅうくつで、湿っぽい。人間が底に沈んでその上を湿気がただよう。濡れたガラスの向こうに深緑の木が揺れる。
ことばを使いこなすことの難しさを想う。日常のいつでもどんなときでも、身の回りのすべてから受ける様々な刺激によって感情は動かされている。その刺激が大きければ笑ったり泣いたりするだろう。でも、小さな刺激、例えば窓の外から聞こえてくる原付バイクのエンジン音だとか、机の上で不規則に体をよじるイヤホンコードだとかを見聞きしたときに、何も感じていないわけじゃないけど身体的な反応を起こすまでには至らない刺激を受けたとき、その微信号をことばで表現したいと思う。自分がささいなことから潜在的に何を感じているのか。それをことばにするには相当に洗練された言語感覚が必要だろう。それがまだできない。いつかできるのかもわからない。そんなことを時々考えている。
月曜日が終わる。風がガラス窓を揺らす不規則な音がどこか遠くで小さく、確かに鳴っている。
私もそのようなことをことばにできるようになりたいです。
企画書を書くことが多い仕事をしていて、客観的にかつ合理的に書くことを
していくと、機微といいますか、きっと大切であろう自分の中に深く眠る
主観のようなものからどんどん遠くなるような感覚を覚え、
強い危機感を感じることが多くなってきました。これではマズイと葛藤する
ことが増えているこの頃です。
ixaoさんのことば、とても好きですよ。うらやましく思います。
Posted by きいこ on 5月 28th, 2010.
>きいこさん
自分のあたまの中にあるものを外にだす。
簡単なようでなかなかうまくできないですよね。
いろいろ書いてみるけど、しっくりこなかったりもします。
仕事の書類作成はまた別のテクニックが必要で、
ぼくはまだちゃんとできないので注意されっぱなしです。
社会人2年目なのでそろそろきちんとしないとです。
Posted by ixao on 5月 29th, 2010.