夏の終わりが感じられる。朝の日差しに、夕空の色に、夜の風に、夜更けの風に。
アスファルトにころがるセミの亡き骸。そこには妙な軽さが感じられる。そのたたずまいに、たましいの行方とこの世に残された身体の処遇を想う。夏はどこへゆくのだろう。
今年はいくつかの花火を見た。どれもきれいで自然と胸躍らされた。だけど、夜空を吹き抜ける破裂音が最近どこかぽっかりとしてしまったこころに反響して、自分が空っぽになっていることに気づいた。打ち上げられた花火玉が薄く尾を引きながら天を目指す。ふと姿を隠す。そして高く、広く、艶やかに光を降らす。すこし遅れてこころを打つ。ぼくはそんな花火が好きなのだ。
昔、女の子と夏祭りにいった。まだ中学生だった二人はどうにも気まずくて、つかず離れず歩きながら屋台をめぐったり、人の少ない場所で話をしたり黙りこくったり。しばらくして河の上流で花火が始まった。みんなが集まる橋には近寄らず、すこし離れた駐車場で空を見上げていた。最後まで見ていたかったけれど、「帰り道で同級生に見られたらまずいよね」とか言って、盛り上がる花火を背にして電車に乗り込んだ。そしてぼくは車窓から見る花火の美しさを知ったのだった。
You’ve got it in one. Coul’ndt have put it better.
Posted by Latricia on 12月 11th, 2016.