2009.07.08 水曜日

遠く近く響く消える

walk, originally uploaded by ixao_AGP.
駅からの帰り道、少し強い風が吹き、空には黒い雲がねっとりと流れ、その隙間から月の光が漏れていた。何も考えずに頭の中をからっぽにして、すたすたと規則正しく歩いていた。何も考えたくなかったのだ。仕事のことも、友だちのことも、恋人のことも、すべてを頭から追い出してしまいたかった。まさに無を求めていたのだと思う。目には道路を行き交う車のライトが飛び込んでくるし、耳にはアスファルトとタイヤの擦れ合うあの音が聞こえてくる。それでもぼくは確かに、何も見えてなくて、何も聞こえなくて、何も感じることなく歩いていた。ときどき、一部だけ白っぽく浮かぶ雨雲にちらりと目をやり、すぐに目を戻したりするだけだった。
そんなとき、急に高校時代の記憶が湧き上がってきた。高校の野球部の、ランニング中に出す掛け声の記憶だった。その野球部は、練習前の準備運動として30分ほどをランニングに費やしていた。今でも思う。長すぎるだろう、って。夏場の練習なんかは地獄のようで、走っている間は声を出すこと以外にいかなる体力も消耗してはいけなかった。もちろん、頭の中はからっぽだった。ただただ声を張り上げ、動かしているのか動かされているのか分からない自分の脚が交互に運動するのを感じていた。外野の向こうの森ではセミの鳴き声が響き、校舎の窓からは暇な同級生が外を眺めている。舞い上がる砂埃が汗だらけの顔や腕にまとわりつく。そんなことは気にならない。ただ、無心で走り続けた。
ランニングの掛け声というのは各野球部ごとに異なるもので、一つの特徴として見られることも多い。我が部の掛け声も、誰が考えたのかは知らないが、まあそれなりに特徴的だったように思う。そして何度となく叫んだ掛け声は喉に、耳に、脳に染み付いていて、おそらく一生忘れることはない。で、その忘れられない掛け声を久しぶりに思い出し、ぼくの頭に響き始めたのである。理由は分からないけれど、家に着くまでの時間、あのランニングを思い出していた。
何の因果か、家に着いて郵便ポストを開けると、高校の同窓会の便りが届いていた。開いてみると、ぼくの知らない校長のあいさつが載ってあった。そのすぐ下には「恩師の近況」として、野球部の副顧問だった先生のあいさつが載っていた。先生はいつの間にか違う高校へ赴任していた。そしてまた、野球部の顧問をしているらしい。文章から先生の顔が浮かび、声が浮かんだ。
急に懐かしくなり、高校のウェブサイトにアクセスしてみた。写真好きの古文の先生が更新していて、トップページは毎月新しいものに差し替えられている。この先生は図書室の管理もしていた。もう随分おじいさんで、「文字」を「もんじ」と発音するのが特徴だった。トップページには、かつて見慣れていた、しかしもう薄れ始めてしまった景色が映し出された。懐かしい感情にまみれながら、最近の行事の報告、そして部活動の紹介のページを覗いてみた。野球部のページには練習風景の写真がいくつか掲載されていた。ぼくの時代に変わったユニフォームが写っている。修理しつづけた緑のフェンス、毎日整備したグラウンド、ぼくを小突いた監督の姿。載っている写真は冬のものだった。その写真を見て、自分でも驚くほどくっきりと、冬のグラウンドの温度や匂いや地面の固さを思い出すことができる。
そう、あの頃は「ランニング」という「無心でいる時間」が毎日きちんとあった。脳を休ませ、からだを目一杯に動かす。その時間がとても大切だったのだと思う。最近は逆で、イスにどっかり座ったままで脳をフル稼働させてばかりいる。安心して何も考えずにいられることがほとんどない。それがよくないのだろう。
吐き出してみたくて書いてみたらまとまらなかった。
書くことが下手になっていくのが体感できる。
でも外に出さないと、中が淀んでしまう。
それだけはイヤなのだ。

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